当初の「ショック期」から、現実から目を背ける「否認期」、怒り、悲しみ、抑うつの「混乱期」、病気や障害に負けずに生きようとする「解決への努力期」、障害をポジティブに前向きにとらえられ「受容期」に至るとされているが「受容の過程を型にはめる必要があるのか」と疑問を感じた。
「障害の感じ方、受け止め方は人それぞれ。常に揺れ動いていて、ポジティブになったりネガティブになったりと忙しい。健常者がどれだけ議論したって、そんな繊細な気持ちの揺れ動きなんてわかるはずがない」。だから「障害受容論って机上の空論じゃないの」と思えてならないという。
そして障害者自身が「障害受容」という言葉を使う機会はなく、支援者がリハビリなどの支援をうまくできていないときに「あの人は受容ができてないから」と言い訳のワードにしている場面がほとんどだと訴えた。
押富さんの声は小さく、途切れ途切れになったが、同窓の作業療法士、介護福祉士や教員たちは一言も聞き逃すまいと集中して、水を打ったような静寂に包まれた。
卒後研修会を終えて仲間たちと記念写真=名古屋市中区で
「当事者セラピスト」コンビ誕生
座長を務めた山田さんも作業療法士。運動神経や感覚神経に悪影響を及ぼす希少難病シャルコー・マリー・ トゥース病によって脚に障害があり、車いすバスケットボールで体を鍛え、患者会の代表も務めている。当事者の思いを理解できる支援者になりたいと作業療法士の道を選び、結婚して、父親になった。多くのことを乗り越えてきた人生に「障害は自分の一部」と肯定的にとらえているが、押富さんの発表資料づくりを手伝う中で、幼少期からのつらい記憶がよみがえり、トイレで吐いたこともあったという。
発表を手伝ったのは、償いの気持ちもあった。
専門学校時代、球技の部活で押富さんと親しく過ごしたが、2006年にメールで病状を知らされたとき、ショックを受けて返事できなかった。研修会の2カ月前に見舞い、ベッドの押富さんに謝罪したら、涙が止まらなくなって「この人、泣いてるよ」と笑われた。
心優しい理論派の山田さんと、ズケズケ流の押富さんの「当事者セラピスト」コンビが誕生した日だった。
「障害受容という言葉は、やはり違和感がありましたが、支援者が当事者を理解するためには必要な概念でもありました。当事者の言葉にはエビデンスがないと言われる中で、説得力を持った伝え方をするにはどうしたらいいかと、悩みました。トシ(押富さん)と一緒にまとめる作業ができて、怖いものなしになった気がします」と、山田さんは笑う。
山田さん(右)とふざけ合う押富さん=2020年2月、押富さんの自宅で