YOSHIさんがインフルエンサーになるきっかけとなったヴァージル・アブローとの出会いの場にいたPred PRの大川博子さん、プライベートでも親交の深かったモデルの西内まりやさんにいただいた追悼のメッセージを紹介します。
──Pred PR 大川博子さん
「あんな行動力のある10代はいない」
YOSHI君にはそう感じさせられました。私たちが出会ったときは確か2016年、YOSHI君はまだ13歳でした。
ファッションイベントに子供が一人で来ていて、珍しいなと思い話しかけると、当時私が担当していたOff-White(オフ-ホワイト)を立ち上げたばかりのヴァージル・アブロー(後にルイ・ヴィトンのアーティスティック・デザイナー)のファンだと話してくれました。
そのあと、東京にオフ-ホワイトのお店ができて、ヴァージル・アブローが来日してパーティーを開催した時に再会。自分のファンの子供がいるとヴァージルは喜び、その場で一緒に写真撮影をし、インスタグラムに投稿しました。
ヴァージルのインスタグラムより
その瞬間にYOSHI君の人生は変わったのです。
ただのファッション好きのティーンエージャーから、一晩でファッションインフルエンサーになり、瞬く間に有名になりました。
憧れのファッションデザイナー(しかも海外の)に会えただけなく、その彼にピックアップされ、海外のデザイナーからも注目され、色々なパーティーに呼ばれ、ミラノコレクションに招待され、映画の主演が決まり、一気にスターダムを駆け上がって行きました。
それは誰か大人が仕掛けたわけではなく、本当に自然の流れだったように感じます。そんな運を掴める人ってなかなかいないのではないでしょうか? その様子を身近で見れたことはとても光栄でした。
若いがゆえに危なっかしいところや、大人がハラハラすることも沢山ありましたが、自分が好きなことややりたいこと、夢がはっきりわかってて、海外のスターだろうが誰だろうが物怖じせずに自らアピールできていて、みんなにかわいがられていました。
それは彼の才能であり、情熱であり、行動力であり、YOSHI君だからできたことだったんだろうなと感じます。
2021年11月28日にヴァージル・アブローが亡くなり、12月に日本でヴァージルの追悼を行いました。そこにYOSHI君も参加してくれて、お別れの挨拶をしてくれました。
ヴァージルの追悼式で
これからが楽しみな少年だったのに、本当に残念でなりません。
YOSHI君、安らかにおやすみください。
天国でヴァージルに会えていますように。