ライフスタイル

2022.11.06 17:00

旅先の店が「胃袋の故郷」に|中山亮太郎×小山薫堂スペシャル対談(後編)


二度と食べられなくなる前に


小山:中山さんにも「ふくあじ」の店はありますか?

中山:いや、残念ながらなくなっていますね。実家の近くの焼肉店はいまだに僕の焼肉のおいしさの標準なのですが、閉店してしまって。新卒のころから20年近く通っている渋谷・並木橋の寿司屋「やじま」も、大将がいよいよ70歳となり、今後どうしていこうか悩まれている。なくなってしまうと二度と食べられないので、なんとかしなければと焦っています。

小山:事業承継のできない、小さなよい店を救うプロジェクトを、マクアケでやったらいかがでしょう。資金を集めつつ、「継ぎたい」という人も募集して。

中山:はい、承継のマッチングも含めてどのように解決できるかまで携われるサイトにしていきたいです。僕自身、一般社団法人ベンチャー型事業承継の理事を務めていて、事業承継と新規事業開発を同時進行で行う方々が直面する課題に合わせたサポートを行っているんですね。ゼロイチは無論のこと、継承を目的とした “暖簾分け文化”も、日本の底力。この素晴らしさをさらに進化させたいです。

小山:いいですね。若い人にチャンスを与えるという点で成功した方といえば、東京・四谷「すし匠」の中澤圭二さん。中澤イズムをもった卒業生がたくさんいます。京都の「祇園 さゝ木」も、年に1回、バーベキューか何かをやると、弟子や孫弟子が100人以上集まるんですって。しかも、その全員が佐々木浩さんという師匠の背中をいまだに追っている。

中山:そのような料理人の生き方って、本当に素敵ですね。

今月の一皿
東京・麻布十番「スーパー ナニワヤ」の自家製ローストビーフ。濃厚な肉のコク、野趣あふれる香りに、両名もご満悦。



blank
都内某所、50人限定の会員制ビストロ「blank」。筆者にとっては「緩いジェントルマンズクラブ」のような、気が置けない仲間と集まる秘密基地。



小山薫堂◎1964年、熊本県生まれ。京都芸術大学副学長。放送作家・脚本家として『世界遺産』『料理の鉄人』『おくりびと』などを手がける。熊本県や京都市など地方創生の企画にも携わり、2025年大阪・関西万博ではテーマ事業プロデューサーを務める。

中山亮太郎◎1982年、東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。2006年、サイバーエージェントに入社。ベトナムでのベンチャーキャピタル事業担当を経て、13年に現在のマクアケを設立し、代表取締役社長に就任。19年に東証マザーズ上場。

写真=金 洋秀

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