重度障害、でも幸せ。難病病棟から在宅復帰へ|#人工呼吸のセラピスト

連載「人工呼吸のセラピスト」

25歳で長期入院し、大好きな職場も退職を余儀なくされた押富俊恵さん。大学病院では診療科の連携不足などの問題はあったが、医師たちは治療に全力を注いだ。だが、新たな手段が尽きてくると、急性期の病院に長くはいられない。

押富さんは地元の民間病院の難病病棟に移って在宅復帰の準備を進め、2008年12月、わが家に2年5カ月ぶりに戻ることができた。

前回の記事:全身麻痺も経験。患者になって、私が一番怖かったこと

姉で看護師の由紀さんが静岡県に嫁ぎ、タクシー運転手の父・忍さん、パート勤務の母たつ江さんとの3人暮らし。床をフローリングにしたり、浴室に手すりをつけたりとバリアフリーの環境を整え、在宅医療や訪問看護、訪問介護、訪問リハビリなどの体制を組んだ。押富さんにとっては、患者の希望に応じてサービスを組むのは慣れた仕事。事業者や行政の福祉窓口との打ち合わせもすべて自分でこなした。

この時点での押富さんの機能評価をすると──

・嚥下障害=細かく刻んでトロミを付けた料理なら、誤嚥せずに食べられた。

・歩行障害=足首を固定する補装具と杖を使って、短距離なら歩けた。

・呼吸障害=調子がいいときは、会話できるカニューレを使えた。夜は人工呼吸器を付けて寝た。

・構音障害=舌の力が弱り、発音が聞き取りにくいが、何とか会話できた。

・手の障害=補助具を使ってフォークやスプーンを握ったり、パソコンのマウスを操作できた。

疲れやすく、リハビリを頑張りすぎると動けなくなって、また筋力が落ちる。やっかいな病気との付き合い方を模索しつつ、将来的には職場復帰することが不変の目標だった。家族に迷惑をかけず、自立したいとも夢見ていた。

しかし、在宅療養を始めて間もなく、嚥下機能が著しく悪化してしまった。

翌09年2月になると、水を飲むだけでむせる状態に。固形物がのどを通らなくなり、気孔のカニューレの付近に食べ物がたまった。気管支鏡で取ってもらうと、ブロッコリー、鮭、ヨーグルトなどが出てきた。

20代で、衝撃的な宣告


嚥下性肺炎になり、通院していた大学病院の神経内科に2月に短期入院。その翌月にもまた入院となって、担当医は「こんなひどい嚥下障害で食べてたの。もう食べちゃダメだよ」と顔色を変えた。そして4月に3度目の入院となったとき、衝撃的な宣告があった。
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文=安藤明夫

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