iPS細胞培養は「匠」の技、AIが作ったレシピでロボットが継承

高橋政代(中央)、高橋恒一(左)、小澤陽介(右)

これまで治すことが難しかった病気への治療法として注目される再生医療。人体が持っている自己修復力を引き出して機能を回復させるという医療だが、その実用化が私たちにとって身近になる時代が訪れようとしている。

その再生医療で最も注目されているのがiPS細胞だが、これを培養して移植に使う組織や臓器をつくっていくには、大きな問題が潜んでいた。

細胞の培養というのは、専門の技術者が手作業でおこなう、いわゆる「職人技」だ。誰がやるのかで、結果に大きな差が出てきてしまう。なので、移植に使える組織をうまく育てられる技術者は、「匠」の技の持ち主として重宝がられる。だが、この技術は、伝統工芸のそれと同じく、他の人に伝えるのがかなり難しいという実態がある。

そんななか、人間のように2本の腕を持ったロボットとそれを動かすAIを駆使することで「匠」の技が再現できるようになった培養技術が注目を集めている。

この技術に早くから目を付けていたのが、高橋政代だ。医療系スタートアップである「ビジョンケア」(神戸市中央区)の社長を務める高橋は、理化学研究所時代に、世界で初めて患者本人のiPS細胞から網膜の細胞をつくって移植する手術を成功させた。

彼女に言わせると、ロボットとAIによる培養技術は「いまがはじまりのとき」だという。果たしてこれから何が起ころうとしているのだろうか。

いままさに実戦での稼働が


高橋政代は「iPS細胞は厄介です」と話す。簡単に性質が変わってしまうので、育てるのは一筋縄ではいかないという。

細胞培養では、細胞を育てる栄養が含まれた「培地」と呼ばれる液体をガラス皿に入れ、そこにiPS細胞を置く。そのあとはタイミングを見計らいながら、古くなった培地を捨てて、新しい栄養を加える。すると、細胞が成長して増殖していく。

だが、この培地の入れ替えに特別な技術がいる。スポイトでゆっくりとまんべんなく栄養を加えるのが鉄則なのだが、「ビュッ」と勢いよく入れすぎたり、入れる場所がかたよったりすると、iPS細胞はうまく成長できない。

上手にやれば、9割近くが移植に使える組織になるのだが、やり方次第では3割ほどになってしまうこともあるという。

2015年、理化学研究所で働いていた高橋は、「まほろ」というバイオテクノロジーの実験に特化したロボットの存在を知ることになる。


細胞培養ロボット「まほろ」

当時は、海外製のおもちゃのような双腕ロボットの怪しい動画が話題になっていたこともあり、はじめは役に立つのか彼女も疑心暗鬼であった。ところが、「まほろ」の動きを実際に目の当たりにすると「これは本物。技術者がいつも使う器具を、なめらかに動く両腕で扱っている」と感じたという。


細胞培養ロボット「まほろ」は機敏に滑らかに動く

一方でその頃、「まほろ」を開発した産業技術総合研究所が、このロボットの実用化のためにベンチャー企業を設立。立ち上げメンバーの1人が生命科学実験の自動化を研究していた高橋恒一だった。

いま彼は、神戸にある理化学研究所でロボットとAIを使った細胞培養のリーダーをしている。そして今月、同研究所内に「まほろ」2台を備えたロボットセンターが開設され、まさに実戦での稼働がはじまろうとしているところだ。
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文・写真=多名部重則

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