iPS細胞培養は「匠」の技、AIが作ったレシピでロボットが継承

高橋政代(中央)、高橋恒一(左)、小澤陽介(右)


豊かな未来のほんの一部


ここで話を少し巻き戻す。高橋政代が「まほろ」に職人の技を教えるプロジェクトが始まった頃のことを振り返る。

「簡単ではありませんでした。匠の技を持つ技術者のまわりをAIとロボットの専門家が取り囲んで、彼女の頭の中にあるノウハウをどうにかして引き出そうとしていました」

ところが、熟練技術者の動きをそっくりコピーして、さらに技術者本人にロボットの動きが間違いないかを点検してもらっても、うまくいかなかったのだ。

当初、相手がロボットなので、「皿の底から何ミリの位置で、秒速何ミリリットルで注入する」と数値化した。人に教えるときは「皿の低い位置で、そっと入れる」としか説明できないのとは大違いだ。

技術者の手技の完全コピーをまずは試み、ロボットが冷蔵庫をバタンといきおいよく閉めるのを変更して、匠と同様にそっと閉めさせるようにした。

ところが、技術はある程度コピーできるのだが、匠の高効率な細胞作成に達することはなかった。技術者すら気づかない未知のファクター(要素)があるようで、動きを数値化してコピーするのは限界に達した。

実は、高橋恒一は2015年に旧知の小澤陽介に声を掛けていた。彼が生物学の実験をAIで支援するノウハウに長けていたからだ。

高橋恒一は小澤とともに、2017年にエピストラを創業。後に高橋政代も協力することになった同社は、AIを使って生命科学実験をサポートすることに特化したスタートアップ企業だ。

エピストラは、匠の技術者本人の技をコピーするのではなく、ロボットならでは動きをさせるべきではないかと考えた。そこで、どの栄養や試薬を、どれくらいの濃度で、どのタイミングで入れるのかという、7つの項目を変えながら、ロボットにiPS細胞を培養をさせて、網膜の細胞に変化する割合のデータを取った。それを繰り返すことで、ついに匠の技に匹敵する方法を突きとめることに成功した。

実は、匠の技術者であってもこの実験はできない。なぜなら、技術者も人間、疲れた日には、雑に作業してしまったり、培地の交換をうっかり忘れてしまったりするからだ。

ロボットだからこそ何度でも同じ条件で再現できる。すると、ある条件を変えたときに培養がうまくいったのかどうかの変化がわかる。それを今度はAIで解析していくと、ベストな手法が導き出せるというわけだ。

「ロボットにAIを組み合わせるというのは、まさに『鬼に金棒』です」と小澤は言う。

この技術で再生医療がこれから大きく変わっていくのだろう。そこで前出の高橋政代にあらめて今後のことについて聞くと、意外な答えが戻ってきた。

「再生医療では、ロボットとAIを組み合わせた技術のおこぼれを使っているだけです。この技術はバイオロジー(生物学)の基礎研究を過去になかった速さで進化させています。いまはそれを見届けたい気持ちのほうが強いですね」

確かに、これまで生物学の実験は職人技に支えられてきた。そこに生まれたロボットとAIによる技術は、デジタルトランスフォーメーション(DX)の成果であることに間違いはない。そう考えると、いま私たちの目の前にあるのは、豊かな未来のほんの一部分に過ぎないのかもしれない。


神戸のロボットセンターで「まほろ」を前にする高橋政代ら

連載:地方発イノベーションの秘訣
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文・写真=多名部重則

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