アート&スタイル部門を受賞した小迫敏珂は、10歳のとき、中国籍から日本に帰化した。ジャーナリストを志した10代を経て、日本、中国、英国でメディアコミュニケーションとUXデザインを学んだ経歴をもつ。
現在、ニューヨークを拠点に活躍する小迫が、日本に届けたいと思っていることとは。
2021年からクリエイティブエージェンシー「monopo」のニューヨーク支社で共同代表を務める小迫敏珂。資生堂、ソニー、ユニクロなど、北米進出する日本企業のビジュアルコミュニケーション設計を、UX(顧客体験)デザインの見地を交えてサポートする。日本や欧州、米国東・西海岸などにちらばるクリエイターをまとめ上げてプロジェクトを走らせる手腕にも定評がある。
ESGやSDGs領域のコンサルティングや政府系プロジェクトの案件も多く引き受けてきた。
「フラットな視点でクライアントの社会的意義を見いだして伝える。メッセンジャーになるというのは、自分の仕事として意義があるところだと思っています」と小迫。
「ただ、それがプロパガンダにならないかどうかという点に、コミュニケーターとして個人のクオリティが求められるところなので頑張りどころです」
ダイバーシティ&インクルージョン、ウェルビーイング……日本の顧客に対して、世界の新しい潮流を伝える仕事もしている。
「新しい概念について、耳をふさがない感じでどう日本の人に届けられるのか。大事なのはトレンドウォッチやインスピレーションだけではなく、リサーチの部分にこそあると思っています」
ジャーナリストへの道が築いたUXデザイン
その観察眼はどこで磨かれたのか。実は10代の頃はジャーナリスト志望だった。
両親は山東省の青島出身、父を2歳で亡くした。文革のあおりで高等教育が受けられなかった母から「あなたはもっとできるはず」と勉強に励むよう厳しく言われ、神戸の南京町で育つ。
実父は政治の学位を収め、養父がたの大叔父にジャーナリストの故・黒田清がいた。彼らの影響を受けて高校生になると、日中関係をテーマにしたジャーナリストを志す。
「子ども時代に大叔父と接していたときの印象は、気のいいおじさん。もちろん、政治の話などをされたわけではないので、テレビや本を読むことで彼の活動をインプットしたんです。『権力の側ではなくて、泣いている側に立ちなさい』と語る人でした。弱い人を優先する、なによりも優しくいるというところが人のクオリティでいちばん大事だと教わったんです」
17歳のとき人生で最もショックな出来事が起きる。母の死だ。
「悲しみから『これからは自分の興味があることをやろう』と気持ちが切り替わって。ジャーナリズムをメディアコミュニケーションの文脈で学んだ後、芸術が好きなので英国の芸術大学院に進みました」
在学中にUXデザイナーのスタートを切る。
「区議会のインターンとして、いちばん貧しい地区の家にお邪魔して冷蔵庫の中を見せてもらうという活動でした」
2010年代、折しもデザインが社会課題の解決というテーマに向かった時期にクリエイティブ職を志したことで、これまでの歩みと自分のやりたかったことが彼女の中で無理なく融合したのだ。
「英国でも米国でも、あるいは日本でも、社会情勢が変わるときのしわ寄せというものが、結局のところは弱い人のもとへいってしまう。ジャーナリズムを選択しなかった私でも、エンドユーザーに向き合ういまの仕事を通じてそんな現状が見えると感じています」
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こさこ・としか◎中国山東省出身。立命館大学と中国海洋大学でジャーナリズムを学び、英セントラル・セント・マーチンズでコミュニケーション・デザイン修士号取得。日本企業で勤務後、渡米して現職。