スポーツ部門の受賞者には、プロ野球選手の佐々木朗希(20)が選ばれた。「30 UNDER 30」アドバイザリーボードの菊地広哉(IMG JAPAN日本代表)は、選出にあたり、佐々木をこう評している。
「佐々木朗希の投じるボールには、まるで猛獣が襲いかかってくるような凄みがあり、恐怖を感じるほどです。そのボールには、彼が経験した不条理な現実という壁を、自らの力でぶち破り、前に進んでいこうという強い意志を感じてしまいます」
日本中がその活躍に注目し、米メジャーリーグも熱視線を送る天才プレイヤーの軌跡を、ジャーナリストの佐々木正明がたどる。
「最も尊敬する人物は?」という本誌の問いに対し、佐々木朗希(20)は、MLBのレジェンドであるイチローの名を挙げた。佐々木は自らの座右の銘も、イチローの言葉にしている。
〈小さなことを積み重ねることが、とんでもないところへ行くただ一つの道〉
マウンドに立つ佐々木の仕草を見ると、思い出す光景がある。
目の前の敵に静かに闘志を燃やすまなざし。常に仲間を信頼している姿勢。いまから11年前の3月、岩手県陸前高田市の高台の避難所であった野球少年たちの姿だ。私は震災直後の被災地を、取材のために訪れていた。眼下に広がる壊滅した街。家族や友達たちはなおも行方不明のまま。ただただ打ちひしがれる状況なのに、少年たちは目を輝かせながらこう言った。
「悲しんでなんかいらんね」
全国に報じられた「奇跡の一本松」が象徴するように、陸前高田の当時のイメージは壊滅した街だった。しかし、そうした風景の中でもコーチや少年たちは野球に打ち込んでいたのだ。
震災当時、陸前高田に住んでいた朗希少年は9歳。大津波が最愛の父と祖父母の命を奪った。
強豪校からの誘いを蹴って、彼は「地元の野球仲間と野球がしたい」と、大船渡高校に進んだ。地元の偉大な先輩である菊池雄星(花巻東高校出身、現MLBトロント・ブルージェイズ)、大谷翔平(同出身、元MLBロサンゼルス・エンゼルス)にも劣らない剛速球を投げると注目の的になった。
岩手・三陸は「令和の怪物」を生んだ揺籃の地。佐々木は被災地の復興されている若者たちと同じ、度胸の座った黒い目をしている。
高校時代、甲子園の土は踏めなかった。秋のドラフトでは4球団が1位指名。千葉ロッテマリーンズが黄金くじを引き当てた。入団してしばらくは1軍の試合から遠ざかった。黙々と基礎的なトレーニングを積み、プロの猛者どもに立ち向かう強靭な身体をつくり上げた。
佐々木ほどの投手なら、すぐに1軍にあげてチームの白星を稼ぎたいと思う胸算用もあるだろう。しかし、千葉ロッテは2シーズン、彼の成長を待った。我慢した。