仲間を信じて
20歳で迎えた今年3月11日、佐々木は報道陣に東日本大震災について聞かれ、こう答えている。
「11年経って、なかなかそのときのつらさだとか、悲しみとかは、なかなか癒えないと思うけれど、そのなかでも、たくさんの方々の支えがあって、いま、プロ野球で打ち込めている」
そして、震災から4049日目の4月10日、ついに金字塔を打ち立てた。前年覇者のオリックスを相手に105球でしとめた完全試合には、「史上最年少パーフェクト」「13者連続奪三振日本新記録」「1試合19奪三振日本記録タイ」のおまけがついた。
最後の打者となった昨年の本塁打王・杉本裕太郎を空振り三振でしとめた瞬間、マウンドを振り返り、静かな笑みを浮かべた。守ってくれたナインに感謝するかのように両手を広げた。試合後、記者に囲まれ、「仲間を信じて」投げたと繰り返した。
挑戦する佐々木の姿は、確実に被災地に届いている。陸前高田市では復興教育が行われており、「何度も挑戦する」ことの大切さが教えられた。今年3月、小学校1年生の児童が「ぼくらのヒーロー朗希せんぱい」というメッセージ集をつくった。担任の教師は言った。
「スタート地点はみんなと一緒。朗希選手みたいになれる可能性がある」
佐々木が尊敬するイチローは、少年野球の子どもたちから「イチローさんのように野球がうまくなるにはどうしたらいいですか」と聞かれて、こう答えている。
「毎晩、明日の試合のためにグローブの手入れをすること。準備をすることがいちばん大事」
小さなことの積み重ねが大きなところへ飛躍する一歩という彼の「姿勢」。ここに朗希少年が影響を受けたのは言うまでもないだろう。この小さな積み重ねと彼の成長のペースに合わせるように、佐々木の周りに集う指導者たちは、彼を育ててきた。
いまとなっては、高校生最後に甲子園切符をかけて戦った岩手県大会決勝で、佐々木をマウンドに立たせなかった大船渡高校の國保陽平監督の決断も、再評価されている。
米紙ワシントン・ポストは、残酷とも称される日本の“甲子園文化”に、佐々木が変革をもたらすかもしれないと報じている。佐々木は同紙にこう述べた。
「周りにいてくれた人たちのためにも、長期にわたって活躍し続けたい。そして、僕のために下してくれた判断や配慮が正しい決断であったことを証明したい」