暴力の血脈を受け継いだヒロインが意想外の人生をたどる「プリンシパル」

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いまどきの言葉でいえば、まさに「ヒロイン爆誕」という小説かもしれない。タイトルの「プリンシパル」を辞書で引くと、「社長、頭、首領」とあり、「バレエ団におけるトップ・ダンサー」という意味もある。

そんなタイトルロールを演じるのは水嶽綾女(みたけ・あやめ)、美しき23歳である。さりげなく添えられた「Tokyo Principal」 の英題は、首都東京の裏社会を手中に収めた彼女がふるう、途方もない権力の大きさをも示しているのだろう。

終戦の日から始まる運命の物語


物語は、日本人が日本人である限り忘れることができない、真夏のあの日から始まる。1945年8月15日。300万人を越える日本人の命が失われた太平洋戦争が、ついにその日、終戦を迎えた。おそらくは日本の津々浦々で見られたであろう、不明瞭な玉音放送が流れるラジオ受信機を人々が囲む光景が、ここ長野県の塩尻駅の待合室にもあった。

主人公の水嶽綾女は、高等女学校で教師をしていたが、戦況の悪化により国民学校の疎開先である長野に付き添いとして同行していた。その日は、いまわの際にある父・玄太を見舞うため、列車を乗り継ぎ、東京へと向かう途中だったのだ。

綾女にとって渋谷区宇田川町の実家は、憎しみと血の記憶にまみれた鬼門だった。父である玄太は、水嶽本家の四代目として関東一円を取り仕切るヤクザの頭目だったのである。綾女が余命幾許もない父に会いに行ったのも、亡き母に代わり周囲から姐さんと呼ばれる父の愛人・須賀子の説得に負けたからで、実家の敷居をまたぐのもこれを最後にするつもりだった。

しかし、乳母のはつと、その長男で幼馴染の修造の青池家に1泊したことが、彼女の運命を狂わせる。夜半に父が息を引きとると、事態は一変、敵対する組織が本家に手榴弾を投げ込み、青池家にも賊を送り込む。

綾女は九死に一生を得るものの、代わりに親しい者たちが犠牲になってしまう。そのことへの贖罪意識からか、まだ戦地にいる長男と三男、心を病んで療養中の次男ら兄たちに替わり、綾女は跡目の「代行」を務めることになる。

うら若きヒロインがヤクザの代紋を背負う物語といえば、つかこうへいの「二代目はクリスチャン」や赤川次郎の「セーラー服と機関銃」などが懐かしく思い出される。

映画やドラマのファンならば、結婚相手に代わり二代目を襲名するシスター今日子役の志穂美悦子の颯爽たる姿や、父親がわりの伯父から組長の跡目を継ぐことになる星泉を演じた薬師丸ひろ子、原田知世、長澤まさみ、橋本環奈という、華麗なるアイドルたちの系譜を思い浮かべるかもしれない。

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「プリンシパル」(新潮社)

しかし、この「プリンシパル」という小説は、それらの先達とは明らかに次元が異なる。コメディ仕立てでもなければ、パロディの要素もない。強いて似たものを挙げるなら、映画「仁義なき戦い」後の広島を舞台にした柚月裕子の小説「狐狼の血」や、北野武監督の映画「アウトレイジ」だろう。しかし、前者は飽くまで警察小説として書かれており、後者が描く抗争の嵐も男たちの世界に終始する。

本作の主人公・綾女は、十代で家出同然に親元を離れると、暴力の家系とは距離をおいて暮らしてきた。しかし、運命の糸は彼女を強引にその出自へと引き戻す。すると途端に、彼女が歩いた足跡からは、無鉄砲なやくざ者たちの殺気が立ちのぼり、本物の血の臭いが漂い始めるのだ。

「任侠も侠気も、自分にはどうでもいい」と言い放ち、思い切り良く次々と実行に移していく意想外の行動は、やがて父親の側近で命知らずの古参のヤクザたちまでも呆れさせていく。そして読者もまた、彼女の細胞のひとつひとつが、四代続く水嶽本家の宿命の遺伝子から成り立っていることを、思い知らされていくのである。
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文=三橋 曉

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