西麻布に「ル・ブルギニオン」というフレンチレストランがある。オーナーシェフの菊池美升さんはフランスの「プーラルド」「ル・ジャルダン・デ・サンス」「レキュソン」、イタリアの「エノテカ・ピンキオーリ」などの星つきレストランで経験を重ね、1996年に帰国し、2000年、33歳の若さで自らの城を構えた。
僕が初めて訪れたのはオープン直後。人懐こい笑顔と誠実さが、そのまま料理や店の雰囲気に表れていて、応援したい店のひとつになった。いまも定期的に食事に出かけるほか、会食の帰りがけに厨房に灯りがついていると「菊ちゃん、いい?」と飛び込んで、互いの近況を肴(さかな)にワインを飲んだりしている。
僕がいちばん好きな菊ちゃんの料理は「さざえのブイヤーベース」だ。昔、自宅のBBQパーティに湘南住まいの友人が生きたサザエを持参してくれた。壺焼きにしようと思ってバケツに入れたまま、すっかり忘れていたのだが、翌朝もサザエは生きていた。情がわいた僕は、湘南の海へと車を走らせ、「もうつかまるなよー!」と海にサザエを放り投げた。その話を菊ちゃんにすると面白がってつくってくれたのだ。
そんな客思いの菊ちゃんは後身の指導も熱心で、「ル・ブルギニオン」から巣立っていった優秀なシェフも多い。だが、いちばんの素晴らしさは当の本人が「初心」を忘れないことだろう。菊ちゃんは毎年、2週間の夏休みをとってフランスに行く。最先端のレストランで“下っ端”として、皿洗いや下拵えなどをするためだ。
新型コロナウイルスの蔓延で渡航が困難となった2020年以降も、菊ちゃんは国内で同じことを実行した。「日本料理 かんだ」のご主人・神田裕行さんも「年を取ると教えを請うことが下手になる」と、50代になってもそれができる菊ちゃんを評価していた。
仕事の規模や会社そのものが大きく成長するにつれ、初心というものは忘れがちになる。だったら「原点に触れる」というのはよい方法ではないだろうか。
翻って僕にとっての仕事の原点はというと、大学時代に始めたラジオ局でのアルバイトになる。いまもFMヨコハマやエフエム東京で毎週番組のパーソナリティを務めているし、年に数回は特番を手がけているが、原点であるラジオの仕事を通して、「浮かれすぎないこと」を肝に銘じている部分はあるように思う。
もちろん、ラジオの魅力にも惹かれ続けている。魅力のひとつは、世の中の空気がよくわかること。
リスナーからの「出勤の際、車のエンジンがずっとかかりにくかったのに、今朝は一発でかかり、春が来たんだなあと思いました」というお便りを読めば、自然のど真ん中に身を置かずして、四季を感じられる。人々がいま何に関心を寄せているのかも体感できるし、「自分の発言で不快な思いをする人はいないだろうか」と常に考えるから、他者を慮る訓練にもなっている。僕にとっては“戒めのメディア”といってもいいかもしれない。