桜桃忌とは、太宰が死の直前に発表していた短編小説「桜桃」にちなんで、生前交流のあった同郷の作家・今官一が名付けたもの。毎年この日には、墓がある東京・三鷹市の禅林寺には全国から多くのファンが集まり、彼を偲んでいます。
太宰治は、1909年6月19日、青森県北津軽郡金木村(現・五所川原市)に生まれました。生家は新興の大地主で、県内屈指の資産家。母は政治家の父と共に家を留守にすることが多かったため、幼い頃から読書に親しみ、小学校、中学校と成績は優秀。中学時代には級友と同人雑誌を創刊し、作家への憧れを強めていきました。
ところが、旧制弘前高等学校に入学後、憧れていた芥川龍之介が睡眠薬自殺したことに衝撃を受けてから、生活は一変。花柳界への出入りを始め、プロレタリア文学の影響から強者に対する批判的な目を持っていた太宰は、裕福な地主の家に生まれた自分に葛藤を覚えるようになります。
そして20歳のとき、初めての自殺未遂。上京して東京大学に入学するも、その後も2回の心中を含む3回の自殺未遂を重ね、生活は荒れていきました。
1935年、第1回の芥川賞で「逆行」が候補となるも落選。選考委員の川端康成からは「作者、目下の生活に厭な雲あり」と私生活に言及されます。翌年、最初の作品集「晩年」を刊行、高く評価され、ようやく作家として地歩を固めます。
1939年、30歳で結婚。生活が安定すると「女生徒」「富嶽百景」「走れメロス」など明るい作風の小説を発表します。戦後は、1947年、没落華族を描いた小説「斜陽」を刊行、ベストセラーとなり、一躍、流行作家として注目を浴びることになります。さらに自伝的小説でもある「人間失格」を執筆、いまも多くの人に読み継がれる作品となっています。
ちなみに太宰治の生家は、1907年に建てられた木造2階建て、宅地約680坪、全19室の大きな屋敷で、戦後は旅館「斜陽館」として営業されていました。2004年には代表的な近代和風住宅として国の重要文化財に指定され、いまも五所川原市太宰治記念館「斜陽館」として現存しています。
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