この日以降、中華航空を除く国際線の定期便はすべて新東京国際空港の発着となり、羽田空港は2010年まで国内線専用(一部チャーター便を除く)の空港となりました。
「開港」したその日は航空機の発着はなく、運輸大臣をはじめ関係者56名のみが出席した空港ターミナルビルでの記念式典が行われただけでした。空港建設反対派による抗議活動が活発で、厳戒態勢のなかでの開港でした。
初めての到着便は、5月21日の日本航空のロサンゼルス国際空港発アンカレジ経由の貨物機、旅客機の第1便は同日の午後に着いたフランクフルト空港発モスクワ経由のJAL446便でした。
そもそも新東京国際空港が開港するに至ったのは、1960年代の高度経済成長とともに航空需要が大幅に高まり、手狭な羽田空港ではカバーしきれなくなったのが主な理由とされています。
当時の運輸省(現在の国土交通省)は、新空港の候補地として千葉県東葛飾郡浦安町(現浦安市)沖の埋立地、千葉県印旛郡富里村・八街町(現富里市・八街市)、茨城県霞ヶ浦沖の埋立地、横浜市金沢区の金沢八景沖の埋立地なども検討していました。
1978年に開港した新東京国際空港が、正式に「成田国際空港」となったのは、2004年に空港を管理していた新東京国際空港公団が成田国際空港会社に民営化されたことによるものでした。
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