この時の顔ぶれは、法学博士5人(箕作麟祥、田尻稻次郎、菊池武夫、穂積陳重、鳩山和夫)、医学博士5人(池田謙齋、橋本綱常、三宅秀、高木兼寛、大澤謙二)、工学博士5人(松本荘一郎、原口要、古市公威、長谷川芳之助、志田林三郎)、文学博士5人(小中村淸矩、重野安繹、加藤弘之、島田重禮、外山正一)、理学博士5人(伊藤圭介、長井長義、矢田部良吉、山川健次郎、菊池大麓)でした。
そのうちの1人、医学博士であり海軍軍医総監だった高木兼寛(たかぎかねひろ)は、脚気(かっけ)の治療法を研究するため、世界初の疫学調査を行った人物です。
脚気とはビタミンB1の欠乏により、末梢神経の障害や下肢の痺れなどを発症する疾患のこと。当時は、特に軍艦乗組員たちに脚気患者が多く、伝染病と考えられていました。
高木は、そんな脚気の原因が、白米中心でおかずが少ない食事を続けたことによる栄養不足にあることを発見。肉や野菜中心の食事に変えることで、特に軍艦乗組員らの脚気患者を大幅に減らすことに成功したのです。彼の研究がのちのビタミンの発見につながったとして、高木は「ビタミンの父」とも呼ばれることとなりました。
そして、脚気の予防食として考案されたのが「海軍カレー」だったのです。栄養が豊富な麦飯や肉、野菜などを乗組員らに食べさせるために、英国海軍のシチューをもとに発明され、それが一般に広まったと言われています。
そのほかにも、「おしべ」「めしべ」「花粉」といった用語をつくった伊藤圭介(理学博士)や、気管支喘息などに効果があるとされるエフェドリンを発見した「日本近代薬学の祖」長井長義(理学博士)ら、多くの博士らが、多大な功績を残しました。
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