阪大「伝説の講師」の極意。教養とは「1人でスマホをグルグル回して説明できる力」

大阪大学伝説の講師・谷口真由美氏


学問は世界を「単純化」しない


そして、「1人で携帯電話を回す」ためのエンジンになるのは、知的好奇心以外の何ものでもない。たとえわからなくても「わかりやすさ」の誘惑に負けて単純化せず、「マイナーな例外」にも知的好奇心を向け続けられる力だと思います。ちなみに、後からお話しする「対話」もまた、携帯を回すエンジンになり得るんです。

たとえば学問の領域では、「わかりやすさと引き換えに正確さを犠牲にする」ことはしません。

法学者として私は時おり、「先生、難しいので、もう少しシンプルに説明してください」とリクエストされることがあります。でも、「シンプル」に説明すると、その説明文の下に結局は、「これはこれこれの状況をもとにした説明である、その状況について以下記す。……、なお例外として……以下のような状況も考えられる。……。」といった、長い、複雑な注記がくっつくことになるんです。


大阪大学での講義風景から

単純化すれば、たしかに「わかりやすく」はなる。けど、その代わりに、いろんなマイナーな、多くの状況下では無視しても弊害が微弱な、しかしある状況下では非常に重要な意味をももち得る「例外」を除外することにもなります。そしてそれは、世界を正確に理解する上で大変危険なんです。

さっきの携帯電話の例でいえば、100人の教室で、携帯のロックされている画面の側を見せて「何が見える?」と聞くと、90人が「黒い長方形」という。まあ、教室のきわめて端っこに座っている学生さんは、「ヒョウ柄がちらっと見える長方形」のようにいうかもしれへん、でもきっとそういう人は10人くらいでしょう。そして、私自身は、ヒョウ柄のケースしかみえていないわけです。

世の中には本当は、「真っ白」や「真っ黒」はない


世の中に起きている現象を、単純に説明したり、理解したりするために、すぐに白や黒、●か×などにわけようとする傾向があります。これを二項対立といいますが、世の中には本当は、真っ白も真っ黒もないと考えます。

真っ白と感じているものは限りなく白に近いグレーであり、真っ黒と思っているものは限りなく黒に近いグレーでしかないのです。真四角も真三角もない。四角っぽい形や、三角っぽい形があるだけ。

限りなく白に近いグレーを「白」と単純化するのではなく、その色をわずかにグレーがかって見せている数少ないサンプル、マイナーな事実を「例外」としてはいけない。四角っぽい形を、わずかに「四角以外」の形に似せて見せている性質をもデータとして取り入れてこそ、フェアな議論ができるはずです。
次ページ > 「教室の端っこの観点」

構成=石井節子

ForbesBrandVoice

人気記事