研究者ならではの感性を経営に
デジタルネイティブな感性をもち、オンラインビジネスのマーケティングにも精通し、将来的には強力なビジネスパートナーになり得るグローバル人材を、ワンチャーはなぜ継続的に採用・育成できるのか。その背景には、経営者である岡垣のキャリアの特殊性と、豊後高田市の地の利がある。
ワンチャーを率いる岡垣太造。日本語を必要としない業務環境を提供することで留学生の支持を得て、彼らとの絆を丁寧に紡いできたことがビジネス上の強みにつながった
岡垣はもともと研究者だった。農業を志して米国に留学し、帰国後は鳥取大学大学院で乾燥地の農業研究に従事。そこから派生して、農作業の遠隔指示に活用する画像電送システムの開発にも取り組んだ。現在のIoTに近い考え方といえる。これを活用した実験農場を大分県内で立ち上げ、営利事業に発展させることを目指したのが、ビジネスパーソンとしての第一歩だった。
しかし、この事業はあえなく失敗してしまう。生産コストが高過ぎたからだ。それでもICTを活用したビジネスの将来性を感じ取ったことは大きな収穫だったし、アカデミアで培ったグローバルなコミュニケーションスキルは、その後の道を開く助けになった。そして、インターネットの普及期以降は、万年筆の輸入販売や国産万年筆の海外販売をオンラインで手がけるようになった。
外国人スタッフの採用を本格化したのはこのころだ。2000年、別府市に立命館アジア太平洋大学(APU)が設立されたことが大きな契機になった。留学生のアルバイト需要は高かったものの、日本語がハードルになっていた。一方で、英語中心のビジネスを一人で手がけていた岡垣にとっては、国際経済やマーケティングの知見をもつAPUの留学生の手を借りられるのは願ってもないことだった。
英語でインターン的な体験ができるまれな環境として、APUや地元・大分大学の留学生コミュニティ内でワンチャーはすぐに有名になったという。アルバイトの留学生たちの能力とモチベーションは高く、やがて岡垣のビジネスを理解し、ともに成長を担う社員に育った。彼らをメンターとしてビジネスの経験を積みたいと考える新たなアルバイトやインターンも加入し、次世代の新卒即戦力の社員に育っていくという好循環が出来上がっていった。