「ほとんどの人間の本質は、善である」
こう聞くと、「きれいごと」だと感じる方もいるでしょう。確かに、人間は戦争を繰り返し、現代においても、一部の富裕層が富の大半を握り、格差の拡大が深刻化しています。
リチャード・ドーキンスが『利己的な遺伝子』を著し、多くの心理学実験でも、人間の理性は薄っぺらで容易に悪に傾いてしまう、という結果が示されたことから、私たちは「人間は放っておくとろくなことをしない」「強い管理者が必要だ」と考えがちです。
一方で著者は、綿密な調査と分析により、これら実験結果を鮮やかに覆し、人間の大多数は富や社会的地位よりも、思いやりや正義感といった価値に共感し、行動するという事実にあらためて焦点をあてました。
では、性善説が前提であるならば、格差拡大などの社会問題が解決されないのはなぜでしょうか。
私が世界銀行に勤務していたときのことです。貧困層の生活を改善するためには、お金を配るのがいちばん効果的だとするキャッシュトランスファーという、ベーシックインカムに似た手法が提示され、非常に優れた成果を出しました。しかし、実行する国や政府は多くありませんでした。
それは、私たちが成長する過程で刷り込まれた「人はお金を手にしたら、ろくなことをしない」といった固定観念が邪魔をしたから。人々が善に基づいた利他的な判断をできるならば、政府ではなく、民衆が直接お金をどのように分配するのかを決めるべきだ、という議論が現実味を帯びてきます。すでに、欧州やブラジルの自治体などで税金の使い道を市民が直接決めていく事例が生まれており、民衆による「従来の資本主義とは違ったお金の分配」が始まっていると言えるでしょう。
生まれたときからインターネットに触れ、世界のニュースを知ることができた「Z世代」と呼ばれる若者たちは、幼いころから社会問題に関心をもち、お金や物より共感やウェルビーイングに価値を見いだす世代です。彼らがデジタルやAIを基盤とした新しい社会のシステムを構築していくなかで、人間の本質が善であるという認識をもてば、権力による統制型の社会でなく真の意味で民主的な、より公正で持続可能な社会の実現が可能になるかもしれません。
本書は、善意を起点として互いの理解を深めることで、これまでの社会システムの限界を打ち破れる可能性を提示しています。希望をもつための歴史をあらためてひもといた本であり、何度読んでも「読んでよかった」と心から思える本です。
title/Humankind 希望の歴史
author/ルトガー・ブレグマン
data/文藝春秋 1980円/272ページ
こぎそ・まり◎東京大学卒、タフツ大学修士。サステナブルファイナンスに幅広く携わる。アジア女性インパクトファンドを手がけたほか、世界銀行グループ多国間投資保証機関東京代表、ファーストリテイリンググループダイバーシティ担当部長・人権委員会事務局長などを務めた。
ルトガー・ブレグマン◎1988年生まれ。歴史学者、オランダで発足した、広告を排したメディア「デ・コレスポンデント」の創立メンバーであり、ジャーナリスト。著書に、『隷属なき道 AIとの競争に勝つ ベーシックインカムと一日三時間労働』(文藝春秋)など。