空想から現実へ
もともと人類が宇宙に飛び出したのは、60年ほど前に過ぎない。旧ソ連のユーリイ・ガガーリン中尉が1961年4月12日に人類初の宇宙飛行をしたが、昨年はその60周年を祝うようにヴァージンのリチャード・ブランソン会長やアマゾンのジェフ・ベゾス会長が、自ら興した宇宙ベンチャー会社で開発した宇宙船に一般人と同乗して飛び立ち、本格的な宇宙ビジネス時代の幕開けを世界にアピールした。
ところが、MITテクノロジーレビュー誌が特集した2021年の「最低なテクノロジー」5選の中では、効果の疑わしいアルツハイマー薬や美顔フィルターと一緒に、「宇宙に行く億万長者」が槍玉に上がっていた。勝ち誇ったように宇宙で自撮りする金持ちを指して、それに続きたい人も「自撮り棒を用意しよう」などと皮肉ってはいるが、1週間に複数回の打ち上げが可能になれば、10年以内に1回の弾道宇宙飛行の搭乗費用も数百万円台にまで下がる、という試算も書かれていた。
誰もが行けない秘境や特別な人しか入れない施設などを、セレブが特権的に自家用ジェットで巡る「ジェットセッター」なる言葉もあるが、金持ちが行き着く先は、入手困難でめったに手にできない所有権やアクセス権を金で買う事なのだろうか。確かにその痕跡としてブランソンやベゾスの名前は残り、その数多くの勲章の中に「最初の民間宇宙旅行」という言葉も入るだろうが、歴史はそれをどう評価するのだろうか?
しかし、彼らと同世代の人にはよく分かるが、1957年の世界初のソ連の人工衛星スプートニクが打ち上げられたときの衝撃が、当時の子どもたちに与えた影響には計り知れないものがあった。それはまさに、天と地がひっくり返るような話だったのだ。それがその4年後に、ついに人間が行ける場所になるとは!
人類はずっと地球から太陽や星を眺め、自分たちの世界の外に何か神のいるような未知の領域が広がっており、そうした手の届かない世界の動向が地上の生活や人々の運命を支配すると考えて畏れ、有限な自分の存在を自覚してきた。
そこに到達する方法はなかったが、ジュール・ヴェルヌの『月世界旅行』(1865)で砲弾を使って月まで行く話から始まり、20世紀になってロケット開発が進み、第二次世界大戦中のドイツのV2などのロケット兵器開発がアメリカとソ連に飛び火し、結局は核兵器の開発と一緒になって米ソの軍拡競争の副産物のように宇宙開発が急激に進んだ。そしてついに1969年にはアポロ宇宙船が月に人類を送り込むことまでになった。
ソ連に宇宙開発で後れをとったアメリカは、ケネディ大統領が1961年に「60年代に人間を月に到達させる!」と大見えを切ったが、それはまだマーキュリー計画でアラン・シェパード飛行士が15分ほど宇宙を弾道飛行したばかりの時点での話だった(アマゾンのベゾス会長の飛行と同じ)。しかしNASAはその言葉をそのまま実行に移し、とてつもない予算と人員を注ぎこんで開発を続け、不可能と思われた話が現実味を帯びて来るに従い、60年代の世界的ニュースの筆頭には常に宇宙開発の話題が出て来るようになった。