マイカー元年の扉を開いた初代カローラ、ハイソカーブームの先駆け初代クレスタ、今ヨーロッパでセダンの主流となりつつある4ドアクーペの元祖、初代カリーナED、国産プレミアムコンパクトの最適解と定評あるプログレ…といった感じでキリがない。
あれも紹介したい、これも、という気持ちをこらえ、「時代を作ったレベルで名車」といえるトヨタの名セダン3選を厳選した。
トヨペットクラウンRS(1955)
トヨペットクラウンRS(1955)
太平洋戦争に負けてすぐの頃はトラック以外ほとんど生産を許されず、乗用車生産を再開してもトラックシャシーへ架装業者が載せた、頑丈だけれども野暮ったいボディの車をタクシー向けに細々と作るくらいだった日本の自動車業界。
しかし1955年、戦後設計としてはエンジンもボディも自社製な、トヨタ初の本格セダンとしてデビューしたのがトヨペットクラウンRS、いわゆる初代クラウンでだった。
まだ国産車の品質に疑問を持たれていた時代でもあり、トヨタも保険として頑丈なタクシー仕様車「マスター」を同時デビューさせていたものの、そのマスターを不要とする人気を獲得したクラウンは、日本を代表するセダンへと成長したのだ。
初代プリウス(1997)
初代プリウス(1997)
1990年代、もはや大衆向けセダンは飽きられるほど作り、現在のミニバンやSUVブームへ続くRVブームだった日本で衝撃的デビューを飾った、世界初の量販乗用ハイブリッドカー、初代プリウス。
サイズの割に車内空間に余裕がある4ドアセダンというパッケージこそ平凡だったが、「実燃費で10km/Lも走れば優秀」だった時代にモーターで走る限りガソリンを食わず、20km/L前後の実燃費を誇るハイブリッドカーは、まさに革命だった。
やがて世界の自動車メーカーは、順調に進化したトヨタのハイブリッド技術にとても太刀打ちできないと一斉にEVへと舵を切る「ルール変更」を強いるなど、まさに歴史を作った名セダンだ。
コンフォート(1995)
コンフォート(1995)
タクシー業界を主要顧客とした国産セダンの決定版、それまでの集大成となる名車が、1995年に発売されたコンフォート。
一見して旧型マークIIセダンをベースとした古めかしい車だったが、あえて強靭さにこだわらないしなやかなボディを含め信頼性や耐久性に優れ、「日本で真に求められるセダンとは何か」という本質を絶妙に突いた、究極のセダンだ。
誰よりもセダンを乗り回すタクシードライバーやタクシー会社から絶大な支持を受け、2018年の生産終了以降も、タクシーの中古車市場では人気継続中。
まだ他にもセダンは作られているが、コンフォートはクラウン以来のトヨタセダンが歩んだ歴史にとって、ひとつの頂点と言えるだろう。
(本記事はMOBYからの転載である。)