登山に例えるならば、現在9合目。「ここから山頂、すなわち打ち上げまでは急勾配の連続だ」というH3ロケットの開発を指揮する岡田匡史プロジェクトマネージャが、世界を舞台に活躍するデザイン・イノベー ション・ファームTakramを訪ね、デザインエンジニアの田川欣哉さんと対談を行った。デザインとエンジニアリング。ふたつの言語を通じて見つめる、日本の宇宙輸送の新しい輪郭とは。
デザインとエンジニアリング。選べないから両方やる
岡田:田川さんのご専門、学生時代は何を専攻されたのでしょうか?
田川:僕は機械情報工学科です。なので、構造力学や流体力学などを学んでいました。
岡田:私とほぼ同じ畑ですね。私は航空宇宙工学科出身です。
田川:もともと幼い頃から機械いじりが大好きだったので、将来はエンジニアになるつもりで機械情報工学科に入学しました。ところが在学中に転機が訪れまして、夏休みを利用してとあるメーカーさんのもとにインターンとして潜り込んだときに、僕はそこで初めてデザイナーという存在を知ったんです。
岡田:それが田川さんの"デザインエンジニア"としての原点だと。
田川:はい、それまで僕はエンジニアがプロダクトの外形であるとか、その基礎的な検討をしているものだと思っていたんですが、その部分を担うのは、実はデザイナーという人たちであることを知りまして。
対談は田川さんが代表を務めるTakramのオフィスにて行った。スクリーンに映っているのは、羽田空港の有料ラウンジである「POWER LOUNGE」。 Takramは同場所のクリエイティブディレクションを日本デザインセンターおよび原デザイン研究所と担当。
岡田:分業的に。
田川:はい、設計はエンジニアの仕事だけど、外形はデザイナーの領域になっているという事実に、僕は衝撃を受けたんです。デザイナーと聞いて普通の人がパッと思い浮かべるのは、グラフィックデザイナーやプロダクトデザイナー、あるいは車やファッションのデザイナーなどでしょう。つまり、美術系の勉強をした人たちが物の形を美的に考えていく仕事として一般的にとらえられています。そんななか工学系出身の僕がこのままエンジニアの道を歩んで企業に入ってしまうと、外形はやらせてもらえないということに、大学生の最後のほうで気づいてしまって。
岡田:本当にやりたいことができないと。
田川:機能性と操作性が優れているものは、当然外形も洗練されていて、所有欲を掻き立てるもの。自分が作るものも、その0から1を生み出すプロセスのすべてに関わりながら、作りたかったんですけど、それができる職業というものがエンジニアだと思っていたわけです。大学の先生も「機械科を出れば、何でもものが作れるようになるから安心しなさい」と言っていましたから。ところがこのままいくと自分のやりたいことの一部分は、諦めなくてはいけない。それは嫌だと思って、大学院でデザインを学ぶためにイギリスへ留学しました。