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2021.07.08 19:00

「海外はこうだから」病の処方箋

乾いた黄土色の風が余計に酷暑を感じさせる。西安郊外の初夏である。再建された古刹は青龍寺。1200年前に空海が滞在した寺だ。天台宗の円仁や円珍もここで密教を修めた。当時の途上国であった日本は、先進的な超大国、唐から実に多くのことを学んだ。仏教や法制から建築、薬理まで、要は国の仕組みから最先端科学まで、おんぶに抱っこだった。

はるかに時代が下って明治維新を迎えると、日本は欧州から国家づくりの仕組みや最先端技術を輸入した。そして戦後は米国が師匠となった。

長年にわたる旺盛な学習意欲の積み重ねの成果で、日本は世界有数の豊かで平和な先進国の建設に成功した。いまや科学技術は多くの分野で国際的にトップレベルだし、世界をリードする偉業も少なくない。発光ダイオード、カミオカンデなど多くの先端技術がその表れだ。

最近では、小惑星探査機、はやぶさ2が偉業を成し遂げた。3億kmかなたの小惑星から鉱物サンプルを地球に持ち帰るミッションは、「日本からブラジルに置いた直径6cmの的に当て」、その地面をはぎ取って戻ってくるような離れ業である。はやぶさ2は、実に7つの「世界初」をやってのけた。米中露よりはるかに少ない予算でだ。基礎科学、応用科学の総合力なくしては達成不可能である。

もちろん、最近の中国の勢いと資金力を前にすると、うかうかしてはいられない。米中の熾烈な競争の渦に巻き込まれてしまうリスクもある。しかし、対応を誤りさえしなければ、日本の技術は大丈夫だと思う。

半面、深刻なのは国や企業の仕組みづくり、いわゆる社会科学的な分野が依然「途上国並み」と思われる点である。

日本の古代の法制は遣唐使がもたらした律令制を基盤としたし、明治の改革は欧州の法制を範とした。

箕作麟祥といえば明治法制起草の立役者である。幕臣時代に英語を修め、フランスにも留学した彼が、江藤新平から命じられた大仕事は、ナポレオン法典の翻訳だった。箕作は日本民法の父ともいわれ、権利、義務、動産、不動産などの訳語を編み出したそうである。ちなみに、近代日本の法制度は、ローマ法、フランス法、ドイツ法が混在しつつ、律令制を底流とする明治国家の理念も追求していたので、非常にわかりにくいものでもあった。いずれにしても要は翻訳だった。
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文=川村雄介

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