【独占】銀熊賞受賞『偶然と想像』濱口監督が語った、ベルリン映画祭の知性


一方で、ベルリナーレは「観客の映画祭」というのを謳っているんですよね。カンヌやヴェネツィアはどちらかというと映画のバイヤーや批評家、ジャーナリストたちが主な観客ですが、ベルリナーレは一般観客を相手にしている映画祭ということに誇りを持っている。それが今回こうやって6月に実際に観客を入れて、映画と観客が出会う場所としての映画祭を実現させたというのも理念に即したものだな、と感じます。

──もともと現地の授賞式に参加される予定でしたか。

実は、コロナ禍で直前まで渡航が可能かわからない状況だったんですが、きめ細やかに対応してもらいました。6月に入るまで基本的にはドイツへは渡航禁止だったんですが、どういう手続きで入国すればいいか。渡航可能になるよう映画祭から公的文書として招待状をいただいたり、不測の事態に備えた下準備や対策も共有してくれました。おかげでとても安心できました。コロナ禍の状況にあって、それに対処する知性を強く感じました。

それはベルリンという場所がもたらすものなのかわからないですが、「人が運営している」映画祭という印象を受けました。そういう感覚を大きな映画祭で保つのはとても難しいことだと思います。なので受賞のコメントでも、そういう感覚や、映画祭に対する感謝の念はできるだけ言葉にするようにしました。

濱口竜介監督

──8月に公開予定の村上春樹原作の『ドライブ・マイ・カー』がカンヌに出品されています。カンヌはまた違ったムードを感じますか?

顕著に違う雰囲気があると思います。カンヌは先ほどお伝えした通り、バイヤーをはじめとしたプロフェッショナルのための映画祭という側面が強いので、上映時の雰囲気もどこか「ギラギラしている」感じ。どこに賞が行くのかに関しても、賞を出たあとに買い付けたい気持ちはあるんでしょうけど、おそらくは出る前に買わないといけないわけですよね。ある種のギャンブルみたいな雰囲気もあって、熱狂が生じやすいと感じています。で、その熱狂が世間に「映画」へと関心を向けてもらうためには非常に大きな役割を果たしているとも思います。ただ、三大映画祭の中でもベルリンは、ある種オルタナティブな方向性に舵を切ったという印象は持っています。

──オルタナティブな方向性とは。

ベルリナーレのアーティスティック・ディレクターのカルロ・シャトリアンは、今年がディレクター2年目で、以前までロカルノ国際映画祭のディレクターをやっていた人です。当時僕たちも作品を選んでもらったことがあります(2015年『ハッピーアワー』)。ベルリナーレがカルロ体制になってから、作品のセレクションから言っても、それまでのロカルノ色が強いと言うか、より実験的な作品に門戸が開かれているような印象です。カンヌやヴェネツィアとは異なる雰囲気の映画祭を作っていこうとしているのかもしれませんね。

濱口竜介監督
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文=冨手公嘉 写真=Hinata Ishizawa

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