「偶然」とは、世界をかけがえのないものとして体験すること
──会話劇が持つマジカルな世界。会話の選択肢によっては悲劇にも喜劇にもなるかもしれない感覚というものに面白みを見出した。それを監督として映画の中で実践していきたいということですか?
そうですね。映画監督として撮影していると、現場で「何か」が映るということがあるわけです。すると、かけがえのない瞬間を捉えたような気持ちになる。そういうことが、映画撮影中にはあります。
「偶然」というのは、この世界を1度きりのかけがえのないものとして体験することではないかと思います。それは現場で起こる些細なハプニングみたいなものとして、撮影を通じて作品に取り込める要素です。ただ、それを「物語」として表現しようとすると途端に難しくなる。偶然というのは、現実にはありふれているのに、物語の中に書いてしまうと途端にご都合主義に見えたり、嘘くさくなる。どうすればそういうことにならないのか……。
──いかにプロットの中で、偶然を偶然として描けるかという話ですよね。ポール・オースターの小説とかまさにそれがテーマだったりする気がします。
ああ、なるほど。自分の場合は、偶然が持つリアリティをストーリーテリングの要素として、構築していけるのかを実験しようとしたのだと思います。
──なんでも今回の3話にとどまらず、シリーズ化させていく予定だとか。
もともと7話で進めるというのが企画の成り立ちとしてあって。そのうちの3話を第一部として公開しました。残り、あと4話あります。
──脚本はすでに書かれていますか?
現状は、どれもあらすじの状態です。もともと長編作品と交互に作る構想なので、長いスパンで考えています。自分が今後、監督をしていく上で制作上の課題と出会った時に、それに合うような形で書き進めていきたいなと思っています。
現地で感じたベルリナーレの雰囲気
──ベルリナーレの授賞式の直前に日本からの観光目的での渡航も認められることになりました。現地の雰囲気をどのように感じられましたか?
滞在数日間なので、語る立場にはないかもしれないですけれど。ただオンライン(授賞式)のときから本当にきめ細やかな運営をされている印象を受けました。映画祭の機能は、映画と観客が出会う場所という側面もあります。けれど、マーケット的な側面もあるわけですよね。特にカンヌ、ヴェネツィア、ベルリンの三大国際映画祭だとそういった機能が期待されているわけです。
その年のコンペに選出されるか、されないかということで、作品の商品価値が大きく変わってしまう側面があります。ベルリナーレは3月にオンラインでマーケットを開き、一方でコンペ作品の審査を進めて授賞作品を発表したというのは、市場の年間サイクルを保持するという観点から理にかなってます。