しかし、入社した出井さんを待ち構えていたのは不本意と思える最初の配属でした。
「輸出部ではなく、輸入部。海外事業の花形は輸出ですから、この配属はショックでした。でも、輸出に行っていたら、僕は基礎を学ぶチャンスがなかったでしょうね。輸入だったから、契約や手続きを嫌でも勉強することになったんです」
出井さんは言います。嫌だと思うのは、実は理由があるのだと。それは、実は苦手なことだということです。
「だから、嫌な部署に行かされたら、喜んで行かなくちゃいけない。その後も僕はいろいろな部署を経験しましたが、花形の職場で過ごす10年より、ずっと力がついたと思いました。人脈ができたし、さまざまな知識も得られた」
本流の事業ではないところ、あるいは不本意な部署に配属になり、ショックを受ける若い人は少なくありません。しかし、そういうところにこそ、実はチャンスが潜んでいるのです。
「それこそ、傍流の事業が主流になる可能性だってある。会社に指示された仕事を懸命にやりながら、同時に自分がやりたい方向も模索しておく。そういう意識さえ持っていればいいんです」
毎日、転職を意識しながら仕事をする
出井さんは20代、30代で念願のヨーロッパ、スイスやフランスに赴任します。現地法人を設立するところから始まった仕事は、まるでベンチャービジネスに携わっているようだったといいます。なんでも自分でやらないといけない。起こるのは難問ばかり。でも、力がついたと出井さんは振り返ります。
「帰国してからこだわっていたのは、商品の値段やコストとかかわる現場にいることでした。そこにこそ会社の本質があると思ったから。例えばそれは営業でした」
本社の中枢である戦略部門への異動を打診されても、出井さんは受けませんでした。若い頃は現場にいるべきだと考えたのです。
そして41歳で事業部長に就任します。
「いちばんうれしくて舞い上がったのは、このときです。ひとつの事業を任される。いつか事業部長になりたいと思っていました。だけど、優秀な人材が次々に入って来る会社では、なれる確率はかなり低い。僕は技術系でもないし、大学院も出ていない。ましてや成長分野の部長なんてあり得ないわけです」
あるとすれば、みんなが嫌がる不況業種の事業部長くらいだろうと考えていたそうです。すると話がきたのが、当時のオーディオ事業部長。それは、国から不況業種に指定を受けていた事業でした。しかし、出井さんにしてみれば「これだ!」というものだったのです。