「せいせいした」 トランプ・プラザ爆破を祝った地元の心境

著者撮影


トランプ・プラザのオープンは1984年。当時はハラーズとの共同経営だった。トランプは豪華絢爛(けんらん)さを追求するため、債券で6億7500万ドル(約710億円)を調達した。1990年になると、トランプ・オーガニゼーションは34億ドル(約3600億円)の負債を抱えた。

トランプ・プラザは1995年、ニューヨーク証券取引所に上場。トランプは2004年までに、さまざまな工作や利益相反取引を通じて2億ドル(約2100億円)以上の利益を得たが、一方で会社は6億4700万ドル(約6800億円)の損失を出して破産を宣告した。トランプは2009年に会社を去り、破産した同社は2016年、債券を保有していたカール・アイカーンに買収された。

地元紙プレス・オブ・アトランティックシティーの記者として、同市の全てのカジノの閉鎖を取材してきたダン・ヘネガンは、トランプが当初、多くの雇用と希望をボードウォークにもたらしたと指摘。「事業を始めた頃は、多くの善意があった」としつつも、「しかし最終的にはそれが全て踏みにじられた」と語った。

それでもトランプ時代は、アトランティックシティーの黄金期に当たる。ビル解体を見物した人は誰もがトランプに恨みを持っていたわけではない。同市で長年暮らしているラジオ番組司会者のマイク・ロペスは、トランプ時代には良い思い出もあったと回想。「プラザが大好きだった。20代と30代の頃は、プラザで300近くの夜を過ごした」と語った。

スモール市長は、解体は政治的なものでないと断言しているが、トランプへの皮肉は忘れなかった。タワー解体の直前、朝食会の席で政治家や労働組合員、見物席落札者らを前に、「マイク・ペンスからついさっき電話があった。爆破は阻止しないそうだ」と冗談を飛ばした。

しかし、トランプ・プラザが大きな爆音とともに終わりを告げた様子を目にしても、トランプのビジネス手法により大きな損害を受けた地元の痛みは消えない。

トランプ・プラザで大工仕事を請け負ったエドワード・フリールは1983年、仕事を終えた後にドナルド・トランプと兄のロバートからオフィスに呼び出された。フリールはトランプから単刀直入に、これ以上料金は支払わないと告げられた。
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編集=遠藤宗生

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