1958年には東京タワーが完成し、60年代に入ると東京オリンピック開催の頃から、カラーテレビやクーラー、自動車が普及し始め、それらの英語の頭文字を取って「3C」と呼ばれるようになった。
その後もパソコンや最新家電で生活の豊かさを表現しようと、21世紀に入ってから、デジカメ、DVDレコーダー、薄型テレビを「デジタル三種の神器」と呼ぶ声も聞かれたが、現在は8Kテレビや5Gや掃除ロボットなどをそう呼んだとしても、それが特に生活の豊かさを象徴しているようには思えない。
人類の歴史を彩るテクノロジー
それで思い出したのが、SF作家のブルース・スターリングが1995年に始めた「Dead Media Project」(時代遅れメディア・プロジェクト)。彼がネットで広く関係者に呼びかけて、今は使われなくなったテクノロジーの事例を集めて本を作ろうというものだった。
ブルース・スターリング(Photo by Mike Jordan/Getty Images for SXSW)
この中には、日時計やジオラマ、蓄音器や幻灯機、伝書鳩などの明らかに一時代前の時代遅れな例から始まって、近年の家電製品やパソコンのさまざまな過去のモデルまでが600ほど網羅されているが、中にはまるで聞いたこともない事例も入っている。
例えば電気機械式シンセサイザー(Telharmonium)やピストル型映写機(Auto-magic Picture Gun)、はたまたロウソクで温めて発電して使うラジオや、アタリが作ったゴーグルにデジタル映像を映すビジュアルオーディオ装置(ATARI Video Music)などだ。それらはともかく奇抜で面白いが、ヒットに至ることはなく、結局はキワモノとして消えて行ったカルトな発明品で終ってしまった。
こうしたものの中で、広く普及したものはわずかで、成功したものも次の時代には新しいテクノロジーに置き換えられており、人類の歴史と同じ程度に長く残ったものは少ない。
そういえば、21世紀になる直前に米メディア・プロデューサーのジョン・ブロックマンが、各界の最先端の動向を知るエキスパートにアンケートを出して作った『2000年間で最大の発明は何か』には、100人あまりの人の挙げた人類の文明に最も影響を与えたと考えられる発明が並んでいた。
馬のあぶみから始まって、水道、椅子、鏡、レンズや時計、印刷機、電池、テレビ、コンピューター、原爆、インターネットまでの物(ハードウェア)ばかりか、宗教、数学、科学、教育、民主主義などの考え(ソフトウェア)までが並んでいるが、個人的には最後に出ている、「この本の表題にあるような問いかけをできること自体が最大の発明だ」とする、ハワード・ラインゴールドの答えに賛同したい。
発明された物の形や流行は違えども、それを作った人間の発想法はきっと同じで、自分の置かれた環境の中で、より便利な方法を発見しようとする気持ちだけはずっと変わっておらず、それこそが発明の源泉なのだから。