レイ・イナモト、僕が30歳を過ぎて知った「20代に贈りたい言葉」 #30UNDER30

レイ・イナモト

今年で3回目の開催となる、30歳未満の次世代を担うイノベーターを選出する「30 UNDER 30 JAPAN」

編集部と受賞者を選出するアドバイザーのひとりとして、今回、クリエイティブディレクターのレイ・イナモトが就任した。

デジタルマーケティング、ブランディングにおける実績を評価され、Creativity誌「世界で最も影響力のある50人」などに選出された経歴を持つ。日本でもユニクロやトヨタなどのブランディングに携わっており、昨年7月にはNYの拠点に加えて日本のオフィスも開設した。

現在は、「日本から新しいブランドを生み出したい」と語るが、そのキャリアは出だしから順風満帆なものではなかったーー。



「ぼくの20代ですか? 当時はNYにいましたが、率直に言えば自信がなく、不安ばかりでした」

僕の話がみなさんの参考になるのでしたら、とインタビューに応じたイナモト。現在の活躍に通じる気づきは、不安だらけだった20代にあったという。

イナモトは、16歳でスイスのインターナショナルスクールに留学、その後アメリカのミシガン大学で美術とコンピューターサイエンスを学んだ。卒業後、一度日本に戻って数カ月ほどの間、アートディレクターのタナカノリユキのもとでインターンとしてデザイン制作やアート活動の現場を学んだ。自分がやりたいことはこういうことだったのだと、このとき初めて知った。

「学生の頃は興味のおもむくままに美術やプログラミングを学んでいて、将来これが何かにつながればいいなとボヤッと考えていましたが、どう生計を立てていくかは全く分かりませんでした。なので、アイデアを考えるとか、絵にするとか、そういうクリエイティブがビジネスなのだと初めてわかったのがインターンを経験したとき。

そのまま日本でデザインや広告の業界に就職するという選択肢もあったのかもしれませんが、せっかく海外で生活をしていたし、日本に落ち着いてしまったらもうアメリカには戻らないだろうなとも感じていました。働き口も貯金もありませんでしたが、とにかくアメリカに戻ろう、ということでNYに住むことにしたんです」

当時、建築家を目指す双子の兄も進路に悩んでいたというが、ビジネス、アートの世界で最高峰のNYでやっていきたいという気持ちでは一致した。二人で安いアパートを借り、ウェブサイト制作などのアルバイトをしてギリギリの生活で日々を過ごす。1998年のことだった。

「イメージを目に見えるものにする仕事をしたい、ということはボヤっと思っていました。でもアウトプットが絵じゃないといけない、建築じゃないといけない、広告じゃないと、というこだわりはなかったですね。目に見えるもので人々の体験に繋がるようなものにしたい。自分の会社でそれをやりたいということだけは考えていました」
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文=青山 鼓 写真=木下智央

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