「売れるもの」と「売れないもの」は何が違うのか
このようなカリスマ性の話は、人だけに限らない。モノや業績に対しても同じことが言える。
例えば小説の場合を考えてみると、ベストセラーだからさぞかし面白いのだろうと思って読んでみたら、あまりに内容が「ない」陳腐な話で驚いた経験はないだろうか。かといって、内容が「ある」いい本が必ず売れるわけでもない。
かつて1970年代に『ノストラダムスの大予言』という本が大流行した時代があった。それと同じ時期に、『日本沈没』という小説も人気になった。似たような題材だが、当時はノストラダムス本のほうが売れに売れた。しかし、何度もリバイバルされ、いま生き残っているのは『日本沈没』のほうだ。
『ノストラダムスの大予言―迫りくる1999年7の月、人類滅亡の日』ノン・ブック 55(左)と『日本沈没(上)』角川文庫(右)
ベートーベンとロッシーニを比べてみても、彼らが生きていた時代には、ロッシーニの方がはるかに人気は高かったし儲かっていた。が、いまは、当時貧乏で野垂れ死んだベートーベンのほうが多く聴かれている。
夏目漱石と田山花袋にしても、当時は花袋のほうがはるかに人気も評価も上だった。漱石の作品は通俗小説とされていたのに、100年経ったいまは漱石が近代文学の代表者のような扱いになっている。
はるか未来に視点をおいて崇高な作品を生み出そうとするカリスマがいる一方で、我々はやっぱり「今ここ」を生き抜かなくてはならない。「空っぽ」だけど人をひきつける「今の欲」にピタッとハマるものをつくることも、それはそれで間違いではないのかもしれない。
あるときダブルミリオンをモノにした編集者にこう言われたことがある。「いいものは売れる。悪いものも売れる。だが、売れないものは悪いものだ」。
私自身は長く読み継がれる作品を生み出したいと思ってはいるが、言いたいのは、どちらがいいとか悪いとかではない。自分が魅力的だと感じた人物や作品について、一度立ち止まって「どうしてそれに惹かれたのか」を考えてみてはどうかということだ。
空っぽ、欲、ないもの、あるもの、無欲、長い物差し、短い物差し──。自分の感性をリトマス試験紙のようにして分析してみると、新たな気づきがたくさん得られるだろう。
*この記事に登場する小説『バタフライ・ドクトリン-胡蝶の夢』5章4話「愛という迷宮」は、「Forbes JAPAN 2020年11月号」に掲載されています。