ほどなくしてソングライターとしていくつかのヒットを飛ばしたゴーディは、R&Bグループ、ミラクルズのリーダーだったスモーキー・ロビンソンの勧めでレコード会社を設立、彼らのシングルをリリースする。モータウンのはじまりだ。
ポジティブなバイブスに満ちた「サウンド・オブ・ヤングアメリカ」
ゴーディは早速アイデアを実行に移した。自宅の1階はレコーディング・スタジオに改造。「ヒッツヴィルUSA」と呼ばれたこのスタジオは、24時間ひたすらレコーディングを行い続けた。後に世界中のエンジニアから「どうやって作っているんだ」と不思議がられた独特のエコーは浴室内にスピーカーで音を反響させたものだった。
専属作詞作曲家にはゴーディとスモーキーのほか、ウィリアム“ミッキー”スティーブンソン、3人組チームのホランド=ドジャー=ホランド、バレット・ストロング&ノーマン・ホイットフィールド、そしてニコラス・アシュフォードとヴァレリー・シンプソン夫妻といった20代前半の才能が名を連ねた。彼らが作るナンバーは、それまでの黒人音楽とは一線を画したポジティブなバイブスに満ちていた。
それが60年代前半のムードとマッチして、モータウンは白人のティーンに支持されるようになっていく。奇しくもゴーディは自社の音楽にこのようなキャッチフレーズを付けていた。「サウンド・オブ・ヤングアメリカ」。
若きソングライターが書いたこうした楽曲を形にしたのが、地元でジャズを演奏していた黒人ミュージシャンたちだった。“ファンク・ブラザーズ” と呼ばれた彼らにスポットを当てたドキュメンタリー映画『永遠のモータウン』(2002)は、『メイキング・オブ・モータウン』のサブテキストとして必見の内容である。同作ではテンプテーションズ『マイ・ガール』のイントロやスプリームズ 『恋はあせらず』のベースフレーズといった印象的なフレーズの多くは、ファンク・ブラザーズがその場で考えたことが明かされている。
しかしモータウンが真にユニークなのは、この次の工程かもしれない。出来上がったレコードは「品質管理会議」に提出され、水準を満たしていないとゴーディが判断した場合はリリースされずに生産工程に戻されたのだ。ゴーディは、自動車工場の検品セクションを音楽産業に応用したというわけだ。
マーヴェレッツ「Please Mr.Postman」
スプリームス「You Can’t Hurry Love」 アメリカで最も成功した黒人女性歌手の1人と言われるダイアナ・ロスもスプリームスの一員としてモータウンからデビューした。
その際、ゴーディは女性の意見に注目した。ポップソングのマーケットは女性リスナー抜きにはありえないからだ。そもそもゴーディがポップソングに興味を持ったのも、エスター、アンナ、グエンといった姉たちからの影響だった。
このためゴーディは、品質管理会議の責任者にビリー・ジーン・ブラウンという女性を抜擢した。どんな作品に対してもリスナー目線で冷静に意見を述べる彼女は、当時ゴーディ以上にスタッフから恐れられていたという。
ゴーディは人種にもこだわらなかった。ラジオ局に楽曲の売り込みをかける販売部の責任者に据えたのはイタリア系白人のバーニー・エイルズだった。それまで黒人が作った音楽というだけで主要ラジオ局で敬遠される状況が続いてきた。モータウンはラジオ局の白人経営者たちとフランクに付き合えるエイルズの力を借りてこの壁を打ち破ったのだ。
モータウンは、ティーンから熱狂的に支持された一方で音楽評論家たちから「白人にウケるために黒っぽさを薄めている」と批判されることもあった。しかしヒットチャートの第一線で戦うレコード会社の中でモータウンほど黒人主体で経営されている企業は存在しなかったのである。白人にもウケるポップさは、妥協ではなく時代の雰囲気と作り手の奇跡的なバランスで成り立っていたのだ。