右腕は日本人シェフ イタリア3つ星店に学ぶ幸せな「ニューノーマル」

ミシュラン3つ星レストラン「オステリア・フランチェスカーナ」のスーシェフ紺藤敬彦

北イタリアのモデナにあるミシュラン3つ星レストラン「オステリア・フランチェスカーナ」は、コロナ前までキャンセル待ちが40万件以上という世界で最も予約の取れないレストランという称号を得ている。再開してまもない頃はキャンセルによって奇跡的に予約が取れた地元客を喜ばせていたが、いまはヨーロッパ内の顧客が戻ってきており、すでに年内の予約はいっぱいだ。

 モデナはイタリアのエミリア=ロマーニャ州にある地方都市だが、高品質なバルサミコの産地として、またフェラーリやマセラティなど高級自動車メーカーの本拠地として知られる以外に、観光地としての知名度はいまいち低かった。

ところがオステリアを率いるオーナーシェフであるマッシモ・ボットゥーラの成功によって瞬く間に外国からの観光客を誘致することに成功し、観光客の数も40%アップし国際的な知名度をあげることになった。ゆえに60人を超えるインターナショナルなキッチンチームはモデナの街の英雄的存在だ。

コックコートで街を歩けば「グラッツェ!(ありがとう!)」と地元の人から声がかかることもあると言う。そのうちの一人、しかも最も重要なスーシェフというポジションでマッシモの右腕として日本人が長年活躍していることはあまり知られていない。皆が親しみを込めて「タカ」と呼ぶ紺藤敬彦だ。

料理人への道 人生の半分を過ごしたイタリア


紺藤スーシェフは現在42歳。妻は同じくマッシモ・ボットゥーラが手がけるフィレンツェの「GUCCI オステリア」で総料理長を務めるメキシコ出身のカリメ・ロペス。紺藤と同様、世界的に注目される料理人のひとりだ。

九州出身のご両親の元、東京で生まれ育った。一般家庭に育ったものの九州の新鮮な素材や優しい味付けに慣れ親しみ、添加物や濃すぎる味は受け付けず吐き出してしまうなど、舌には敏感な子供だった。そのうち見よう見まねで自己流の料理をするようになる。

ヘアメイクアーティストを志した18歳の頃、進路に迷い、ふと相談した両親に「料理でもやってみたら」と言われたのは、幼少期の姿が理由だろう。調理学校も行かず現場に飛び込んだ。当時はイタリアンレストランへ注目が集まり出した頃で、料理のことも、イタリア料理のことも、包丁の握り方すらも知らずイタリア料理の世界に入ってしまい苦労もあったが、ある恩人との出会いに恵まれた。フィレンツェのレストランで長年修行し、骨太なイタリア家庭料理で知られる石川淳太シェフだ。イタリア語を話し、イタリア的な感性を持つ石川シェフの元で家族の一員のように過ごし、イタリアへの思いを募らせた。そしてついに21歳でイタリアへ旅立ち、いまに至る。


人生の半分の年月をイタリアで料理人として過ごし、予想だにしなかったコロナ禍の状況を外国の地方都市で過ごした彼はこれからのレストランのニューノーマルに何を思ったのだろうか。
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文=齋藤由佳子

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