一極集中の都市化が「妖怪の歴史」をつくる|妖怪経済草双紙 #2

「江戸名所橋尽」 国立国会図書館デジタルコレクション(インターネット公開(保護期間満了))より


江戸時代の妖怪社会は令和にも通じます。『怪談豆人形』のお話です。

絶海の小島に小型妖怪たちが仲良く住んでいました。もっと妖怪修行を積まなければと、西日本に留学するのですが、なにせ大豆かせいぜい空豆くらいの大きさの見越し入道や猫又、一つ目小僧たちですから、本土では散々に馬鹿にされてしまう。噂によると、江戸なら野暮や化け物はいない。で、東行きを敢行します。三保の松原で、親切な松茸の妖怪に心得を集中講義してもらい、いざ箱根を越えて江戸へ。

でも結果は散々でした。吉原で、遊女の裸体を見せつけられてその恐ろしさに震えあがる。そりゃそうでしょう。艶っぽい人間女性のヌードだって、豆粒サイズの妖怪にとっては怪獣ですから。あげくにトッポイ常連客に「こりゃ格好の玩具だ」と弄ばれ、這う這うの体で引き上げたのです。

いじらしい豆妖怪たちですが、当時の妖怪譚には「箱根の向こう」物というジャンルがあった。要は、田舎の妖怪が江戸の妖怪に馬鹿にされて酷い目に遭う、というストーリーです。牧歌的で長閑な地方の妖怪は、人口密度は高いのに人心が希薄でタカピーな魔都江戸には馴染めないという次第。

越すに越されぬ大井川や箱根の関所が、人の往来を制限していた時代ですが、それなりに行き来があったわけで、そんな中での江戸人の妙なプライド、地方を上から目線で見てしまう感覚が、妖怪譚に集約されていたのでしょう。

今の日本は、地方再生が一大テーマ、とくにコロナ禍で地方が見直されています。大いに結構な話でドンドン進めるべきです。でも、人々の心底に「箱根の向こう」物のようなセンスが潜んでいないものか、みんな、表面では綺麗ごとを並べていますが、人間心理を見極めていく必要があります。

中央が地方交付税交付金をばら撒き、補助金や地域ファンドを懸命に注入しているのに、いまひとつ成果が出ない。ふるさと納税って本当に地方に役立っているのか? 当たり前ですが、経済活動は人間が担うもの。そして人間は心理で動かされるものなんですよね。江戸時代の戯作家が健在だったら、現代の地域活性化活動をどんな風に描いたんでしょうね?

妖怪であれ化け物であれ鬼であれ、このように長い歴史を持っています。歴史的な変遷があります。その歴史とは、実は他ならない人間の歴史なのです。

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文=川村雄介

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