一極集中の都市化が「妖怪の歴史」をつくる|妖怪経済草双紙 #2

「江戸名所橋尽」 国立国会図書館デジタルコレクション(インターネット公開(保護期間満了))より

古くから言い伝えられる妖怪にも、時代ごとに特徴がある。コロナであぶり出された問題の一つ、一極集中型の都市の歴史が妖怪の歴史と符号する──。日本証券業協会特別顧問で、一般社団法人グローカル研究所代表理事の川村雄介氏が、妖怪譚で時代の動きを語る。妖怪経済草双紙、第二弾。


死亡したことをなぜ「鬼籍に入った」と言うのでしょうか? 実は、もともと鬼の頭には角などありませんでした。虎皮のパンツも履いていなかったし、肌の色も赤や青ではなかった。鬼って、本来は亡くなった人のことなんです。鬼籍に入るとは、生きている人間の籍から、あの世の籍に編入されるという意味です。漢字の母国、中国では今でも鬼はこういう意味で使われます。だから、中国ではゴーストタウンを『鬼城』と呼ぶのです。

では、日本人なら誰でも知っている有名な妖怪絵図に「百鬼夜行」があります。百の鬼と書きますが、数えてみると角が生えている鬼なんかごくわずか。老婆や老人、亡くなった母親やお坊さん、それに様々な動物や家具什器の妖怪が大半です。ってことは、鬼は妖怪の一種に過ぎないのか。

古代から中世あたりまで、妖怪とは人知の及ばない恐ろしい自然現象を指していました。しかも、「神」と呼称されていた。蠅声邪神(ブンブン五月蠅い妖怪)とか穴渡、柏渡の神(毒を吐く妖怪)なんていました。神であり邪神であり妖怪だったのですね。天変地異を引き起こす荒ぶる神、って言い方も似たような感じです。

そうこうするうちに登場してきたのが鬼です。人を食らうというおっかない妖怪ですが、デビューした頃は、姿かたちがありませんでした。

また、「隠」(おん)が鬼の語源だ、という説もあります。変幻自在で、液体や空気に化けて人を襲う鬼もいました。鬼の持っていた兵器の一つが打ち出の小槌。これを一寸法師に取られた鬼は、逆に退治されてしまったのです。

このように鬼や妖怪は歴史とともに変わっていきます。妖怪たちが大きく変わったのは、近世、江戸時代あたりからです。不可思議な自然現象だった妖怪は、都市化とともに社会や人間心理を生みの親にしていく。なので、同じ鬼でも、古代と近世ではかなり趣が違います。幽霊という怨みや憎しみを肥やしにした妖怪も頻出します。さらに、妖怪たちの間で地域間格差も生まれてきた。

田舎の妖怪と都会の妖怪


恐ろしいはずの妖怪が、どことなくずっこけてきたのも江戸時代です。例の黄表紙本は、好き放題に妖怪をからかっている。

天狗は鼻が高すぎて女性にもてない。鼻がもげてくれないか、四六時中悩みます。妙案を思いつきます。梅毒を移されれば鼻が腐って落ちる。そこで病気持ちの夜鷹と何度も関係して、見事、重度の梅毒になって鼻がもげる。でも、地顔が悪いからダメ。思い人からは却って気味悪がれて、大挫折しちゃうんですね。

僕は天狗には本当に同情します。かつては大空を自在に飛びながら人々の畏敬の念を一身に集め、鞍馬の山奥で牛若丸を鍛え上げた天狗ですが、どうにも女性にモテない。1000年経ってもこれだけは変わらない。

こんな天狗的男どもは今も健在です。IT用語を駆使し、ファッション雑誌のような服で決め、スポーツクラブとメンズエステに通い、英語のスピードラーニングが日常っぽい。でも、費用対効果は最悪。女性からは、彼らの本音の天狗鼻が「鼻につく」んですな。だからモテない。モテるための努力とモテてる振りをするために、膨大なエネルギーを費やす。

天狗は、男の生き様が昇華されて妖怪になったもの、といえないでしょうか。東京が江戸だった頃から5Gの時代まで変わることはない。
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文=川村雄介

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