今や、世の中はマスクに覆いつくされています。電車もお店も街角も、ほとんどの人々がマスク姿、たまにマスクなしの姿をみると、こちらの方が引いてしまいそうになります。
かつて、花粉症の内服薬があまり効かない頃、大学で教えていた私は、ゴーグルとマスクを装着したゼミの女子学生に「君、地球防衛軍みたいだね」などと軽口をたたいたものでした。
昨今では同じような姿のコロナ防衛軍が巷に溢れています。マスク、ゴーグルに加えて、フェース・シールドを装着した重武装の人もいます。こうなると、顔が隠れているのが当たり前で、口元や鼻筋を人目に晒すのは例外になる。人間、面白いもので、そうなると隠れているものが見たくなるんですね。
思い出すのが、私が駆け出し社員時代、今でいう都市伝説でしょうか、「口裂け女」という話が大流行しました。まあ、作り話で様々な尾ひれもついていたわけですが、白いマスクの美女が、ネオンの光芒を遮るような裏町の路地に佇んでいる。そのどこか寂しげにしどけない風情に引き込まれるように近づく。少し乱れた長髪に輝くような大きな眼。よく見やると涙を浮かべています。
「どうしたの? 大丈夫ですか?」
すると彼女はくぐもったような声で「あたし、綺麗?」
「うん、とても綺麗ですよ」
すると彼女はマスクを外しながら「これでも綺麗なの?」
あとはご想像の通りです。
一見何の問題もなさそう、むしろ美しさすらある。なのに、その裏の正体は、不安とオドロオドロシサに満ちている、という寓意なのですが、ではなぜこんなホラーが広まったのか。マスクの下に潜む時代背景が関係しているのではないか。
口裂け女の噂は1978年頃に拡散しました。
この年、株価は5000円そこそこから始まり、年末には6000円を超えました。全体としては良好なパフォーマンスでしたが、日米貿易摩擦の激化と円高圧力が増す中、総合経済対策が打たれるなど、経済環境は波乱含みでした。年末には金融引き締めと原油の値上がりに見舞われたものです。当時のベストセラーはJ.ガルブレイスの『不確実性の時代』でした。
しかも、翌年のイラン革命に伴う第二次石油ショックの足音が、日毎高まっていました。日本社会も国際社会も、いわば「将来に対する漠然とした不安」を抱えていたのです。
そんな世相や社会心理を生みの親として誕生したものが、口裂け女話ではなかったのか。妖怪とか幽霊とか化け物とかいわれる存在は、社会と経済の鏡だと思うのです。