辛さんは、心のなかで李秀賢さんの死を完全に受け入れたわけではない。今でも、事故当時の話をすると、涙がこぼれる。一方、自分自身で変わったと思える部分がある。今年1月、李秀賢さんの命日に合わせて来日した辛さんは、「腕は内に曲がる」という韓国の言葉を私に教えてくれた。「地縁や血縁など、自分と近い人間には更に情がわくという意味です。19年の間に大勢の日本の方とお会いするうちに、私もとても日本が好きになりました」と話した。「事故が起きるまで、私は歴史認識問題などでは日本人に反感を持つ、ありふれた韓国人でした。事故の後に大勢の日本人と会ったお陰で、本当に中立的に物事を見られるようになりました。日本にも韓国にも足りない点があると気がつきました」とも語った。
写真=牧野愛博
李盛大さんが亡くなった直後、辛さんは韓国大手紙のインタビューを受けた。そのとき、釜山の日本総領事館前で起きた事件について、堂々と日本総領事を気遣ってみせた。「3人以上集まる公の席で、日本を支持したり、評価したりする発言はタブー」とされる韓国では異例の発言だ。辛さんは、釜山の地に眠る李盛大さんと李秀賢さんのお墓の前で「どんな形であれ、韓日の架け橋であり続けることが、残された私の宿題なのです」と語ったこともある。
もちろん、辛さんは韓国人であり、日本が韓国を統治した時代を経験した人々の話も数多く聞いてきた。周囲には最近の日韓関係の悪化の影響で、日本への旅行を責める知人もいる。文在寅大統領を支持する友人もいる。辛さんは「日本は元徴用工や元慰安婦らを傷つけたことを認め、真摯な気持ちで謝って欲しい」とも語る。だが、それは、日韓でよくある一方的な主張ではない。辛さんは「日帝時代は政治的には過ちでしたが、朝鮮半島の経済に貢献した点は否定できません。色々な人と会って、多様な考えに触れることが大事です」とも語っていた。ソウルの日本大使館前や釜山の日本総領事館前などで行われる日本を批判する集会では、決して聞くことのできない言葉だろう。
私はこうした言葉を紹介した記事を22日付の朝日新聞で紹介したところ、韓国の大手紙が同じ日に引用・転電した。「韓国政府も日本企業が元徴用工らに損害賠償する事態を防ぐべきだ」という言葉も伝えてくれたが、私の記事とは全く異なる趣旨の記事になった。私が書いた記事のタイトルは、「触れ合えば、互いの心わかるはず 辛潤賛さん」だったが、韓国紙は、書き出しを「辛潤賛さんが強制徴用と慰安婦問題に対する誠意のある謝罪を日本政府に求めた」とした。タイトルは、〈「義人」故李秀賢さんの母親「日本は真摯な気持ちで謝り、韓国は徴用賠償を防いでほしい」〉となった。「彼女の気持ちを正確に理解せずに、利用した」と思えた。これはインタビューの際、辛さんが最も力を込めた部分ではない。辛さんが言いたかったのは「中立の立場で、物事を是々非々にみることの重要性」だった。
辛さんが来日するたびにお世話してきた関係者のなかで「韓国メディアは過去、何度もお母さん(辛さん)を反日に利用しようしようとしてきた」と嘆いた人もいた。日本で日本人を助けようとして死亡した韓国人の母親だから、日本を恨んで当然だということなのだろうか。「憎しみは何も生まない」という辛さんの言葉をいま一度かみしめたい。