東京の新大久保駅で2001年1月、線路に落ちた人を助けようとして電車にはねられ死亡した韓国人留学生、李秀賢さん(当時26)の母、辛潤賛さん(70)だ。事故が起きてから19年間、李さんの命日である1月と、日本各地などから寄せられた弔慰金をもとに、日本で学ぶアジア出身の留学生に向けた奨学会の奨学金授与式がある10月には、必ず日本を訪れてきた。
李秀賢さん(特定非営利活動法人LSHアジア奨学会ウェブサイトより)
辛さんは自分を「普通のおばさんです」と説明する。同時に「19年という歳月が自分を変えた」とも話す。李秀賢さんが亡くなるまで、日本を訪れたことはなかった。「主婦の私が知る日本は、過去に韓国を苦しめたが、今は発展した国という程度でした」。日本の新宿署で遺体と面会しても、李さんの死を受け入れられず、しばらくは李さんの携帯に電話をかけ続けた。新大久保駅の事故現場を訪れても、「先進国なのに安全設備も不十分。息子は日本を信じすぎて犠牲になったのではないか」という恨む気持ちしか浮かばなかった。
辛さんが、自分を変えようと思ったのは、事故からしばらく経ち、釜山の自宅を訪れてくれた李さんの留学生仲間の言葉だった。「お母さんが悲しむことを、秀賢は望まない」。それから、前を向いて一生懸命生きてきた。
日本から届いた約1800通の激励や感謝の手紙を読んでみようと、日本語も習った。01年5月、釜山駅近くの「オリニ大公園」に李さんの追悼碑が立てられた。毎週通うなか、無料の炊き出し所に列を作るお年寄りが目に入った。炊き出しの無料奉仕に加わった。多いときで週1回、130食分のおかずを自費で準備した。
写真=牧野愛博
辛潤賛さんと夫の李盛大さん(2019年3月に死去)に会いたいと、日本人が釜山を訪れると、必ず応じた。日本政府関係者も「20年近く経っても、事故が風化しないのは、辛さんご夫婦の人柄のお陰」と語る。辛さんは熱心な仏教の信者でもある。そこから、人を責めずに許す姿勢を学んだともいう。「憎しみは何も生みません。愛情と寛容の気持ちこそ必要なのです」
ある日、日本の関係者が「新大久保駅の安全装備の不備について訴訟を起こしたらどうか」と提案した。辛さんは「息子が生きて帰ってくるわけではない。正しいこととは思わない」と考えて応じなかった。17年12月31日、釜山の日本総領事館前に慰安婦を象徴する少女像が設置された。李盛大さんと辛さん夫婦は釜山の自宅でこのニュースを見ながら、思わず、当時の日本総領事を気遣う言葉が口をついて出た。19年5月、東京・市谷で李盛大さんをしのぶ会が開かれた。最もつらいはずの辛さんが、李盛大さんと李秀賢さんを思って涙する日本人の来場者たちの肩を抱き、慰めていた。