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ビジネス

2020.07.07 11:00

ウガンダの難民出身の起業家がシリコンバレーでイグジットするまで

Spirosure社CEO ソロモン・センニャンゲ氏

シリコンバレーには、世界中から人種を問わず優秀な人たちが集まっている。彼らの多くはこの地での起業し、最初から世界をターゲットとして事業をスタートさせている。また、失敗を恐れず、リスクを取って挑戦することが日常のこの街には、世界に貢献しながらビジネスを進めるというカルチャーが存在する。

アフリカのウガンダから紆余曲折を経てこの地に渡って来たソロモン・センニャンゲ(Solomon Ssenyange)氏も、シリコンバレーで起業して、イグジットを果たした1人だ。その軌跡をたどりながら、シリコンバレーでビシネスを展開する意義や利点を探ってみたい。

アフリカ難民からシリコンバレーで起業


現在シリコンバレー在住のソロモン・センニャンゲ氏は、1976年、ウガンダ生まれ。1981年にウガンダ内戦が始まると、センニャンゲ氏は一家で隣国のケニアに逃れ、難民として学校に通う生活が9年間続いた。

その後、難民支援を受け、カナダに移住。アルバータ大学で化学の博士号を取得後、アメリカのオハイオ州立大学でポスドク(博士研究員)として、分子エレクトロニクスの研究や自動車エンジン用途向け一酸化窒素センサー開発に取り組んだ。

そして2006年、半導体関係の仕事に就くために、その中心地でもあるシリコンバレーに移り住む。

5年後の2011年7月、彼の目に止まったのが、ニューヨーク・タイムズの記事だった。そこには「一酸化窒素が喘息の診断と管理のために重要」と書かれてあり、喘息診断方法にイノベーションを起こす必要性と、一酸化窒素を学んできた自分にはそれが実現できる可能性があるということに気づいた。

センニャンゲ氏には、ケニア時代に小学校の親友を喘息で亡くした悲しい思い出があった。また、陸上競技に取り組んでいた頃、喘息持ちの選手たちがレース中に何度も息苦しくなる様子を目にしてきたことから、喘息患者を救うことに関しては、以前から人一倍関心があった。

そこで、母校のオハイオ州立大学に戻り、一酸化窒素センサーの技術ライセンスを取得。その後、シリコンバレーのなかでも著名なベンチャーキャピタルが多く集まるサンドヒルロードに赴き、「喘息患者を救うために、一酸化窒素センサーを用いた新しい喘息測定デバイスで医療イノベーションを起こす」というピッチを何度も繰り返した。

しかし、センニャンゲ氏のアイデアは評価しつつも、彼の話を聞いたベンチャーキャピタリストたちは、誰も投資までには至らなかった。
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文=森若 幸次郎 / John Kojiro Moriwaka

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