もし「正義の暴走」を本当に抑止したいと考えるならば、批判の対象となる政治的主張がファシズムや弱いものイジメに与するような主張であるのか、それとも反対にそれらに抵抗する主張であるのかという点を吟味する必要がある。
無論、どのような主張が支配的立場たる多数派の意見を代表しているのかという点については、相対的に変化する問題でもあるため、歴史や経済、メディア環境など様々な側面を考慮ねせばならない。ただ少なくとも、やみくもに「正義」を冷笑するだけでは、ファシズムに抵抗するどころか、無自覚にそれの片棒を担ぐことになってしまうということは、決して忘れてはいけない点ではないだろうか。
ユダヤ人虐殺を取り仕切った「凡庸な男」の冷笑
多数派への反対意見を真面目に聞こうとせず、正義の可能性を嘲笑う「冷笑主義=シニシズム」は、歴史的にみても「ファシズム」を招くと指摘されてきた。現代のドイツを代表する哲学者の一人であるペーター・スローターダイクによれば、表面的には民主的な政治体制が確立していたにも関わらず、ナチズムが出てくる温床となってしまったドイツのワイマール期には、シニシズムが蔓延していたという。
スローターダイクは『シニカル理性批判』のなかで、シニシズムを「啓蒙された虚偽意識」であると定義したが、これは「噓だとわかっているけれども、あえてそうしているのだ」という態度のことだと説明される。
権力の虚偽に対して正義を訴えるような主張を嘲笑うシニシズムは、「支配的立場にいる人々は清廉潔白である」などとピュアに信じているわけではない。そうではなく、シニシズムとは「権力者であっても不正や虚偽を行うことはある」ということを充分に知った上で、その不正をあえて見ないようにする態度のことなのだ。
ナチス親衛隊の中佐アドルフ・アイヒマンのメンタリティは、虚偽や不正を知りながらそれをあえて肯定してしまうシニシズムの危険性を例証するものとして考えることができる。アイヒマンはナチスの最高幹部ではなかったが、600万人のユダヤ人を強制収容所や絶滅収容所に移送し、「処理」するための実務を取り仕切っていた人物だ。1960年、アルゼンチンで逃亡生活を送っていたところをイスラエルの諜報機関モサドに拘束されると、イスラエルへと強制連行され、翌年エルサレムの法廷にて裁判。1962年5月に絞首刑に処されている。
この裁判を傍聴していたユダヤ人哲学者、ハンナ・アレントが書いた『エルサレムのアイヒマン』によれば、彼はナチズムに心酔する狂信的な反ユダヤ主義者というよりはむしろ、「自らに与えられた義務を几帳面にこなす非常に凡庸な男」であった。