まさに、実際にジュネーブのWHO本部に一堂が会していたら、お目にかかれなかった光景になった。こうしたなか、この会議に参加した日本はどうだったのだろうか。
WHOの司会進行役が「では、日本どうぞ」と呼びかけても、なかなか画面が切り替わらない。やっと切り替わった画面は構図がずれ、まだカメラで位置を修正している途中だった。「画面、切り替わります」という事務方の声が入り込んでしまったのも悲しい。カメラがぶれて、途中で顔の上半分が切れてしまう目にも遭った加藤氏の目は上方に向かって泳ぎ、「May I speak?」と何度も尋ねてしまう。
ようやく画面の構図が定まったが、場所はどちらかと言えば殺風景と言える部屋だった。絵画は一応あったが、横には日章旗が元気なく懸垂幕風にかかっていた。しかも、構図が悪いため、加藤氏に隠れてほとんど見えない。画面の右隅に、時折テレビが映り込む。
加藤氏は一生懸命、英語の演説を行うのだが、ペーパーからほとんど目が離せず、たまに上を向いてもカメラと正対する視線にならない。しかも、音声が悪く、時折音声がかすれてしまった。
加藤氏の演説を視聴した在京外交団の1人は「むしろ英語は通訳に任せ、自分の言葉で語った方が良かった。その方が説得力を出せる。それにしても、日本は演説のリハーサルをやらなかったのだろうか。どの国もリハーサルをするのが当たり前だが、それほど忙しかったということだろうか」と話した。
加藤氏の演説は、「日本が現在置かれている地政学的な立場を忠実に反映した対応」(WHO親善大使も務める武見敬三参院議員)で、非常に評価されるべきものだった。WHOへの拠出金停止をちらつかせる米国におもねらず、台湾のコロナ対策を評価することで、中国にもへつらわず、バランスの取れた演説になった。それだけに、寂しい演出が目についた。
関係者によれば、加藤氏が演説した場所は、厚労省が急きょ、WHAに備えて省内の部屋の一つを改修したものだったという。日本政府内には「あれでは、日本の威信にかかわる。もう少し何とかならなかったのか」という声が複数出ていた。
WHAで日本は存在感を発揮できなかった。それは米中両国と距離を置く中庸路線を取ったため、メッセージが弱くなったためだとされたが、こうした演出の拙さも多少なりとも影響したのかもしれない。
WHAのテレビ会議の顛末について尋ねた日本政府の中堅幹部は「確かにテレビ会議専用の部屋を設けている国もあるようだ。でも、霞が関の役人たちはみな未明まで国会答弁の作成などに追われている。疲れ切った若手に、テレビ会議の準備まで完璧にやれとは言いづらい」とぼやいていた。
日本は島国であるゆえに、国際社会から時として世界の流れに取り残されているという批判を浴びることがある。中国の横暴ぶりと、米国の国際的地位の低下を浮き彫りにしたのが、今回のWHAであったという評価があるなか、今後は、国際社会の流れを冷静に正確に読み取ることが何よりも求められている。
WHAの映像を見た政府関係者のひとりはこう言った。「テレビ会議ひとつとっても、日本は世界の流れに遅れている。こんなことでは本当にガラパゴスになっちゃうぞ」。
過去記事はこちら>>