──日々の生活でも、悲しみを感じることや心を痛めることは多々ありますが、人はこうした感覚に向き合うことなく過ごしてしまいがちです。幼い頃に感じていた感覚に、いまでも正面から向き合っているところに感心します。
書家として活動していても、やはり幼いころに感じていたものは私のなかで生きており、いまもそうして「感じたこと」を、書に表現しています。言葉には言霊があり、書いて自分の手を放れたあとでも生き続けます。見る人によって捉え方も、魂への響き方も変わりますが、自分自身の感じる想いを乗せた「生きた言霊」で、その人たちの心を癒すことができるかもしれないと思っています。
書家になったばかりのころ、自分の作品をSNSにアップしていたのですが、ある日、「変わることは勇気」というメッセージを添えて、変化の「変」という文字を書いて投稿したことがありました。すると、「自殺する間際だったが、あなたの作品を見て生きていこうという希望が湧いた」というコメントをいただき、衝撃を受けました。
書にそのような力があるのであれば、これからも書き続けていかなければいけないと思っています。
青い海の中を泳ぐ美しい一匹の鮫曲線美を描いた「青曲」
──昨年末に東京で開催された個展「線の美」では、日本の人だけでなく世界の人を魅了したと聞きます。どんなところが評価されていると思いますか。
はっきりとはわからないのですが、個展の最終日に、私の作品のなかで最も大きな作品を、初めて見たというアメリカの方が買って行かれました。その作品は、購入する人がいなかったら私が持っておきたいと思えるくらい美しく描けた作品でした。そのアメリカ人の方はじっと作品を眺め、私と同じように美しいと感じてくれたようでした。
もちろん、作品を書いた背景や論理的な説明もとても大切なのですが、美しいと感じる感覚は世界共通であり、言葉を超えて心で通じるものとして伝わったのかなと思えて、嬉しかったです。
──岡西さんの「美」に対する感覚は興味深いですね。自分がどういう状態のときに美しいものを生み出せるのでしょうか。
よくわからないのですが、精神統一もしっかりできて、自分の心が浄化された状態ですっと書けることももちろんあります。ただ、自分自身の精神状態がぐちゃぐちゃで、「昨日も寝ていません、いまにも叫びそう」というときのほうが美しいものが書けることがあります。
般若心経の文字を綴った「真言」
例えば、「真言」という2年前の作品があるのですが、自分自身を見失いそうで、周りもぐちゃぐちゃで、生きていく意味が見出せない時期に書きました。ある日、この作品をつくりたいと閃いて、ある意味、自分を救うような気持ちで書いたものでした。そのとき、自分は、その人がつらいときや逆境にあるとき、同じ視点に立って救いたい、そういうときに私の作品は生まれるのだと気づきました。