マルチに挑戦する日本人書道家が「美」を見出す場所とは?

書家の岡西佑奈さん

いま私たちには、かつてないくらいのパラダイムシフトが求められています。新型コロナウイルス以後の世界では、グローバル経済の減速は進み、テレワークなどの日常化で、私たちのライフスタイルにも顕著な変化が訪れることでしょう。

利益向上、市場拡大、株価上昇など、目に見える成果を追い続けることばかりが、必ずしも「正解」として求められることがなくなってきた昨今。これからの組織、そして私たち個人の在り方はどう変わっていくのでしょうか?

そのヒントを探るべく、日本の酒蔵の多様性を継承することを目的に、ユニークな事業展開を進める「ナオライ」代表の三宅紘一郎が、これからの社会を創るキーパーソン、「醸し人」に迫る連続インタビュー。

第11回は書家の岡西佑奈さん。6歳から書を始め、高校在学中に師範の免許を取得。その後、水墨画も学び、書の技法を用いた美術作品を発表。近年は、般若心経を綴った「真言」や、鮫の曲線美を描いた「青曲」など、独自の表現で心象風景を描いた作品が、 国内だけでなく海外でも高く評価され、数多くの賞を受賞しています。世界からも注目される日本人書家が考える「美」について、話を聞きました。


──岡西さんの作品は、いまや書というジャンルから抜け出して、自由に美の世界を泳ぎまわっているような印象を受けますが、書家として、現在のスタイルを確立された経緯を教えてください

生まれも育ちも東京で、都会の真ん中で多くの時間を過ごしていました。一方で、親の実家が群馬県の山奥にあったので、定期的に出かけては、朝は鳥の啼き声とともに起床し、昼は山の中を走り回り、庭に生えていた沙羅双樹の枝の曲線の美しさを眺めながら遊ぶ、そんな時間も楽しんでいました。

幼稚園のころから、同い年の子供たちの心の声が聞こえるような感覚がありました。いじめられたとか、親に叱られたとか、さまざまな悲しみの声だけが聞こえてきて、それがとても辛かったことを覚えています。なぜ私にはその声が聞こえ、その悲しみを知り、辛くならなければいけないのだろうって。そんな悲しみの声を聞くたび、遊び場の片隅でひとり耳を塞いで泣き、泣き終わるとトイレに行って目が赤くないかを確かめ、教室に戻るということがよくありました。



小学生2年生くらいになって、その声は聞こえなくなりましたが、世の中には悲しいことがたくさんあるということを体感して、子どもたちの悲しみを癒したいという気持ちが芽生えたように思います。こうした幼少期の体験が、いまの活動に大きな影響を与えています。
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インタビュー=三宅紘一郎 校正=鈴木広大 撮影=藤井さおり

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