経済・社会

2020.04.18 20:00

「命と金、どっちが大事か?」の限界 経済のために命を救え

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だが、ちょっと家の中を散歩でもして考えてみてほしい。何か見落としていないだろうか? たしかに命は金で買えない。だが、金は命で買えるだろう。というか、金を手に入れるにはつまるところ命をすり減らすしかない。生きた人間がいなければ経済活動はなく、金も生まれようがないからだ。
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とすると、こんな風に言えるはずだ。いま金をはたいてある命を救うかどうか悩んでいるとする。仮に以下の大小関係が成り立つとしよう。

「救った命が生み出してくれる金」 > 「命を救うのにかかる金」

もしこの大小関係が正しければ、とりあえず「金のために命を救うべきだ」と言えるんじゃないだろうか? たとえ金だけに話を絞っても、命を救うことは得なのだから。
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注意してほしいが、ここでの計算には「人の命そのものの尊さ」みたいなフワフワしたものは入っていない。というかあえて無視している。そしてそれでいい。命そのものに金で測れない心の価値かなにかがあるのだとすれば、金だけでなく心にとっても命を救うことは得になる。さらにキッパリと命を救うべきだと言えるわけだ。

170万人の命に値札をつける


果たして「金のために命を救うべきだ」と言えるんだろうか? つまり、上の大小関係は成り立っているんだろうか? 

どうやら成り立っているらしいことが、米国のデータと疫学・経済学の知恵を組み合わせるとわかる。まず、世界中で使われている疫学モデル(*1)にデータを入れてシミュレーションすると、3月から3〜4カ月にわたってそこそこの「人と距離を置く政策(social distancing)」を取ると、2020年3月から9月の半年ほどで米国で170万人の命を救えると推定される。

ちなみに、このうち63万人はコロナの直接の被害者ではなく、コロナ感染拡大で集中治療室が溢れかえって治療が受けられず亡くなる他の病気の被害者だ。

では、国ごと閉店することで救えるこの170万の命が生み出してくれるお金はいくらくらいだろう? 答えを出すために、命を救うことで生まれる金を測りたい。一番素朴な方法は、生きた人がどれくらいの金を稼ぐか測ることだろう。
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文=成田悠輔

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