ここで、さらによく肝に銘じておかなければならないことがあります。人間はもともと肉体的に弱い生き物ですが、精神的にもとても脆いものだということです。いろいろな事柄についてこれを自覚する必要がありますが、なかでも研究倫理の問題は、繰り返し自戒しなければなりません。剽窃するな、捏造するな、ということは言を俟ちません。こうした規範とともに、規範を破っても楽をして名誉や地位を手に入れたいという間違った考えに陥らないよう、よくよく注意していただきたいと思います。
「初心忘るるべからず」とは室町時代の能楽師世阿弥の言葉です。使い古された言葉ではありますが、皆さんは、本日ここに出席されている気持ちを、「初心」として忘れないようにしてください。倫理にもとる行動は、初心を生き生きと再現できる精神からは決して起こらないものです。いくつになっても初心を忘れない人こそ、真に優れた人であると、私も心から思います。
美醜が入り交じってこその、深い「彫り」
皆さんは、私などの知らない新しい世界を築く人達です。その皆さんの前には、人類社会のたくさんの深刻な問題──人口爆発と食料やエネルギーの枯渇、先進国の高齢化、地球温暖化と環境破壊、地域間そして世代間の経済格差など──が待ったなしで押し寄せてきています。
皆さんの中には、あるいは、自分は純粋科学の徒であって、こうした社会的課題を現実に解決する人間ではないとお考えの方がいらっしゃるでしょう。たしかに、自然知・人文知の原理を探求する立場からは、世俗的な課題解決は遠いことがらかもしれません。
しかし、世の中にはじっさいに個々の現場で解決する役割もあれば、人類社会のための思想的基盤を構築したり、理学的な真実をつかまえたりすることで解決への糸口を提供する役割もあります。次の時代に、学問と社会の間でどういう因果応報が起こるかは、誰にもわからないことです。両者の関係について日頃から頭に入れておき、新しい時代を築くための想像の翼をいつも広げておくことが、どんな立場の人にもたいせつと思われます。
最後に一言だけ。「学問に王道無し」と言いますが、楽をしたり近道したりすることで、かえって本物を手に入れられなくなるものだということは、人生そのものについても当てはまります。ほんとうにたいせつなことは、苦しみや悲しみを深く経験してはじめて味わえるものだ、といっても良いでしょう。
たとえばレンブラント晩年の自画像に描かれた彼自身の顔は、美醜が複雑に入り交じった表情をしていますが、こうした高度な芸術は、苦しみ悲しみを自分のものとしてきた人でないと味わえないものでしょう。ジャズの名曲「ラッシュ・ライフ」は我々の欲望がもたらす人生の機微を語ってくれますが、これを理解するには、やはり人間らしい喜怒哀楽の経験が必要です。絵画だけでなく、音楽だけでなく、家族や友人とのささやかな語らいの場でも、苦労の末にこそ深い幸福感は味わえるものです。単純な世俗的成功よりも、むしろそうした彫りの深さをもつことのほうに、私などはより大きな価値を置きたいと思いますし、こうした思いは、年齢を重ねるとますますはっきりとしてきます。
まだまだ語り尽くせないのですが、もう時間になりました。これからの皆さんのご健康とご健闘を心から祈ることで、私の式辞を終わりにしたいと思います。皆さん、深い悩みを抱えることがあっても、広い心で悠々とこれからの学究生活を楽しみ、さらに人生そのものを生き抜き、そして自分らしい彫りの深い幸福を手にしてください。
(2015年4月13日 東京大学大学院情報理工学系研究科長 坂井修一/平成27年度東京大学大学院入学式式辞)