さらに舩後はやまゆり事件について触れ、「被告の歪んだ障害者観に本気で向き合い、障害者の立場に立って被告を思い止めようという方は多くなかったのではないでしょうか。かつて私が入居した療護施設も、津久井やまゆり園も、決して例外的にひどい施設ではなかったと思います。だからこそ問題だと言えます」と語った。
心の奥底に潜む「支配欲」
舩後の言う「仲間」と「非仲間」。そして、健常者と障害者。なぜ、意識上で「分断」は起こるのだろう。
舩後は人々を分け隔てる「分断」について「文明文化、宗教、民族はたまた、それらの固有の歴史の違いによって起こること」だと考える。「そしてその根底には、人間が持つ支配欲、人を見下げる感情、羨望があると言えるでしょう」
舩後が接したヘルパーの中には「◯◯をさせてください」と言う男性がいた。一見へりくだっているようだが、舩後は「その言い草は一種の命令形のようだった。心の奥底に『支配欲』を潜めており、やまゆり園事件の根底と繋がるものがあったのでは」と語る。そのヘルパーには何度か注意したが、直ることはなかったという。
舩後の話から、筆者はこう感じた。「意思疎通できない障害者は不幸を生み出すだけ、生きていても仕方がない」という考えに終始した植松被告も、自身の「支配欲」に気づいていなかったのだろうか。また、言葉によるコミュニケーションが難しい人であっても、周りの人たちを幸せにしたり、自分自身の幸せを追求したりできることを植松被告は知らなかったのではないか。
独り善がりな考え方によって、被害者やその家族、職員など多くの人たちを傷つけたひとりの加害者はなぜ人の心を失ってしまったのか。また加害者となる前に、彼に寄り添い、周囲が止めることはできなかったのか。二度とこのような凄惨な事件を引き起こさないためにも、私たちは事件の背景について深く考えていく必要があるだろう。
舩後はいま国会議員として「障害の有無を問わず、誰もが幸せになれる社会づくり」をビジョンに掲げ、活動している。健常者と障害者を分け隔てなく、「円で包み込むこと」が必要だと訴える。
後編では、ALS患者となってからどのように生きる希望を見つけたのか、舩後の半生を振り返る。また、誰も排除しないインクルーシブ社会のあり方について考えたい。
3月16日、やまゆり園事件判決の公判には、多くの人が傍聴を希望して集まった=筆者撮影