同選手の週給は40万ポンド(約6000万円)という、破格の高給だったからだ。だが、背番号7番を与えられたサンチェスのプレーは精彩を欠き、イタリア・セリエAのインテル・ミラノへの期限付き移籍を余儀なくされた。これらの3選手はいずれも、ロナウドが自らを象徴する番号とした7番を引き継いだが、実力を発揮できずに終わった例だ。
当時のファーガソン監督はロナウドに対して、チームを象徴する番号をつける以上、過去に同じ番号をつけてきたレジェンドたちと同様の責任を負うことになると説いた。大西洋に浮かぶマデイラ島出身のロナウドは当時18歳。背番号7を文字通りトレードマークにする世界的なスーパースターになるとは、この時は誰も想像できなかったはずだ。2008年に自身初のバロンドールを受賞したロナウドは、ファーガソン監督のもと、1シーズンで42ゴールを叩き出し、イングランド・プレミアリーグを大いに沸かせ、ユナイテッドの伝説に自らの名を刻んだ。
その後の2009年、ロナウドはレアル・マドリードへの移籍を決意した。スペインの首都に足を踏み入れたロナウドが当初手にしたのは、背番号9のユニフォームだった。当時、背番号7をつけていたのはクラブのレジェンド、ラウル・ゴンサレスだったため、さすがのロナウドもすぐにはこの番号をつけることはかなわなかった。そして2010年、ラウルがドイツ・ブンデスリーガのシャルケ04に移籍すると、ロナウドは念願の背番号7をマドリードのフロレンティーノ・ペレス会長から受け取った。
スペインの地でプレーした9年間で、ロナウドは「ミスター・レアル・マドリード」と呼ばれるラウルを抜いて、同クラブでの通算ゴール数でトップに躍り出た。マドリードでのロナウドは、出場438試合で451ゴールという信じがたいペースでネットを揺らし続けた。これは1試合平均で1.03点を挙げた計算になる。
その内訳は、スペイン1部リーグ「リーガ・エスパニョーラ(ラ・リーガ)」で312点、コパ・デル・レイ(スペイン国王杯)で22点、スーペルコパ・デ・エスパーニャ(スペインのスーパーカップ)で4点、UEFAスーパーカップで2点、FIFAクラブワールドカップで6点、そしてUEFAチャンピオンズリーグで105点だ。
マドリード時代のロナウドは、ラウルの7番を受け継ぎ、その価値をさらに高めた選手として、これからも永遠に記憶されるだろう。2018年7月にロナウドがクラブを去るとその約1年後の2019年6月にはエデン・アザールが、10年前のロナウドと同様に鳴り物入りでマドリードに加入。その移籍金は、1億1300万ドル(約127億円)に達した。
アザールには背番号7のユニフォームが渡されたが、ご存じのように、これまでのところ、マドリードでの初シーズンは控えめに言っても期待外れの状態が続いている。これは「背番号7の呪い」なのだろうか? それとも単に、天才的な選手の後に続くことから生じるプレッシャーゆえだろうか?
マドリードを離れたロナウドは、イタリアに新天地を求めた。新たな所属先となったユベントスでは、加入時から背番号7を与えられた。それまで同クラブで7番をつけていたフアン・クアドラードはロナウドにこの番号を譲り、自らは16番に収まった。コロンビア代表のクアドラードは、2016-17シーズンを前に、再び決まったチェルシーからの期限付き移籍でセリエA王者のユベントスに加入して以来、7番をつけていた。