「ショックでしたね。それまでは夢に向かって一直線。医療機関に対して『使いたい患者さんはたくさんいます。だから導入しましょう』と言い続けてきた。理想を追い求めるだけではだめだと、自分たちの甘さを痛感しました」
共同代表の豊田も、自分たちの未熟さについては同意見だ。
「オンライン診療は対面診療と対立するものではなく、アドオンして患者さんに新たに価値を提供できます。しかし、既存の医療を否定するディスラプターのイメージが先行して、オンライン診療の本当の価値が医療界や行政に伝わっていなかった」
規制への衝撃とその対応を行う中で、社内からは退職者も出た。また、利用方法が限定されたことからシステム利用料の単価を下げたところ、当然「CLINICS」事業の売り上げも落ちた。スタートアップにとっては、手痛いブレーキだ。
ただ、要因がわかっているだけに対応は早かった。オンライン診療が患者に提供できる価値を伝えるため、情報発信の方法を変更。通常の通院率と「CLINICS」を導入した場合の通院率を比較するなどして、データによる裏付けを充実させた。また、症例が少なくデータに落とし込みづらい小児の難病などは、地方から飛行機に乗って東京のクリニックに通院する家族の声を紹介して、事例ベースで実態を伝えた。
「同じ情報を持っていれば、異なる判断にはならない。丁寧に伝えることで、関係者の反応が変わってきた」(豊田)と前回の診療報酬改定との変化を感じている。
17歳で最初の会社を立ち上げて、25歳でメドレーを創業した連続起業家の瀧口。東大医学部を卒業後、脳外科医の道を進んだ豊田。接点のなさそうな2人が出会ったのは、小学校時代の有名進学塾だ。再接近したのはメドレー創業後。瀧口は医療人材プラットフォーム「ジョブメドレー」を運営していたが、他にも医療系アプリの開発を検討。医師の意見をヒアリングするため、アメリカの病院に勤務する豊田にFacebookでメッセージを送った。
一方、豊田は日米で現場を経験するうちに、日本の医療の非効率性を痛感していた。臨床現場の外からヘルスケアの課題に取り組むため、帰国してマッキンゼーに転職。帰国後、2人はたびたび焼き肉を食べに行く仲になる。起業家と医師。立場は違っても、医療に対する課題意識は同じだった。