現在スペインのビジネススクールに通う筆者は、卒業までちょうど1年という時期にさしかかっている。日本の大学院に通う学生にとっては、既にいくつか内定が決まっていてもおかしくない時期だ。正直授業や論文のことでそれどころではないというのが本音だが、そんな私でさえもある程度準備を進めているところだ。
それにもかかわらず、クラスでは誰1人就職活動の話をしていない。クラスメイトだけでなく他校でも、学部を問わずほとんどの同年代の学生が就職活動についてまだあまり考えていないようだ。
彼ら、彼女らは就職に対する焦りは感じないのだろうか。あまりにも気になったので、就職活動に対する考えについて、クラスメイトをはじめ外国人の学生たちに聞いてみた。
就職活動よりも「クオリティの高い論文」イタリア人学生たちの場合
同じ学校に通うイタリア人が、卒業論文の発表を終えたことを嬉しそうに話してくれた。卒業式まで数ヶ月あるが、「もう学校に来ることはない」とのことだ。これから働き始めるのか聞いてみると「今学期は論文の研究と発表練習に明け暮れていたから、就職先は決まっていないのよね。一旦イタリアに戻って、休みながら考えるわ」と彼女は答えた。
日本では考えられないマイペースさだと思った。あまりにも驚いたので、一緒に住んでいる同じ歳のイタリア人の女の子にも、いつから就職活動を始めるのか聞いてみた。ちなみに彼女の専攻は建築学だ。
「まずは課題と卒業論文を終わらせないといけないから、就職先についてあまり考えたことがなかったわ。私の場合は父が建築家だから、将来一緒に働く話は度々しているけど。論文を書いた後に、他社でインターンシップをして経験を積んでから、父の元で働くかもね」
こちらもかなりマイペースな意見だと感じたが、彼女たちの学問に対する丁寧でバランスの取れた姿勢は素晴らしいと感じた。彼女にとって建築学は、本当に好きなこと、学びたいことなのだ、と確信した。
日本でも経団連の「就活ルール廃止」で、現在は会社説明会や面接、内定の時期の制限をなくす体制がはじまり、学生がいつでも就職活動を始められるシステムに変わっている。就活のルールが変化しているとはいえ、何事も早く決着をつける日本の学生の傾向には変わりはなさそうだ。
筆者自身、大学に対するイメージは元々「しっかり学問を極めること」よりも「いかに大学生活を楽しみながら意義のある経験をし、良い就職先を見つけ、無事に卒業するか」だった。少なくとも周りの友人も同じように考えていたと思う。就職がなかなか決まらない学生は、取り残されたような孤独感に苛まれている印象だった。