アメリカは香港に対して関税やビザ発給において優遇措置を提供してきましたが、香港の特権的な立場を失うことになれば、中国にとって大きな痛手になります。香港は、自国主権下でありながら、世界との間を結ぶ「オフショア・ファイナンシャルセンター」であるからです。
中国は、資本規制をしている自国内には、国際金融センターをつくることは不可能です。資本の流出入に伴ってコントロールが効かなくなり、中国経済が混乱に陥る可能性があるためです。そうすると、一国二制度であっても、最終的には自らの主権下にある香港が、国際金融センターであることが、中国にとっての香港の存在価値なのです。
香港の長期的な衰退は始まっている
金融センターとしての価値が、深センや上海に移っていくという見方もあるようですが、国際資本の調達や決済の場としての役割を担うことは、現行の制度において不可能です。
ですが、今後も香港が中国本土によって締め付けられ、自由が奪われてしまうとすれば、国際金融センターという経済の軸として機能できるかどうかは疑問です。
ゆえに、今回の民主化運動による経済的影響が1~2年で収束したとしても、長期的に見たときに香港の衰退はもう始まっていると思います。
アメリカの対中投資の8割が香港経由であるため、香港が特権的な地位を失うのは、アメリカ企業にとっても打撃となりますが、長期的に考えると、米中関係は「分離」に向かっており、その対立の先は冷戦でなく「ホットウォー」に発展する可能性さえあると考えます。
この流れでアメリカが、中国によるドル決済を封鎖するなど終局的手段の経済制裁を行えば、香港のみならず、中国経済は壊滅することになるでしょう。
香港の主要港(leungchopan / Shutterstock)
香港経済は「ゲートウェイ」として繁栄してきた
これまでの100年以上もの間、香港の経済を支えてきた要因を考えてみましょう。
香港では、19世紀半ば以降のイギリス統治によって、同時期のアジアで形成された巨大な自由経済圏の中心的貿易港として、華僑に代表される多くのヒト、モノ、カネ、情報が流出入していました。20世紀前半までアジア経済全体のゲートウェイの役割を果たしてきたからこそ、必要不可欠な存在に成長したのです。
ところが戦後は、アジア各地で独立国家が台頭した。共産主義体制の中国や民族主義的な東南アジアの国々。さらに東西冷戦の環境下、日本やアメリカのような自由主義的な経済圏がありました。
こうした分断によって、香港は衰退していくはずだったのですが、実際は違いました。立場の異なるさまざまなパワーに挟まれた「真空地帯」となった香港が、どのような立場からの経済活動も受け入れたことで、逆に国際経済においての利便性が高くなり、繁栄したのです。
軽工業や貿易を主体にした高度経済成長の時代を経て、1980年代には中国が世界に開かれ始め、1990年代からはグローバリゼーションとアジアの市場統合が始まり、香港は再び強大な経済圏のゲートウェイとして復活しました。こうした中で、1990年代以降に重要な経済支柱となったのは、金融と不動産でした。