ヒズボラは国際的麻薬産業界に長い年月をかけて深く浸透していき、定着し、市場で固有な存在になっていった。その結果、当初はごくわずかな収入にすぎなかった「麻薬」が、今では資金源の中で非常に高い割合を占めるようになったのである。実際、ヒズボラの国際麻薬取引が生み出す総所得は、年間何億ドルにものぼる。
ヒズボラとイランの関係については後述するが、イラン政府に対する経済制裁によってヒズボラの資金源を枯渇させようとしても、ヒズボラの指導者たちに別の資金源を作らせるにすぎない、と専門家たちが推測したのはほんの数年前のことだ。
そして、その「別の資金源」とは主に、すでにヒズボラの総所得の約半分を占めていた「麻薬取引」にこそなるだろうと。
「ヒズボラ」とイラン
そして、ヒズボラの「大躍進」には、ある歴史的協議が大きく関わっている。2015年6月14日。欧米など6カ国とイランは、イランの核兵器開発防止に向けた歴史的な最終合意に達した。
2013年8月、シリアでの紛争で命を落としたヒズボラメンバーの墓前でヒズボラの旗を抱く少年(Shutterstock)
その主な内容は「核開発の制限の見返りとしてイランに対する経済制裁を解く」というものだった。合議後、イランの外務大臣を務めるザリーフは、結婚式の花婿のような笑顔で要人たちと歓談していた。その顔は達成感に満ち満ちていた。
そして、1500キロ離れた場所では、ヒズボラの指導者ハサン・ナスルッラーフが、興奮を抑えきれずにいた。厳しい経済制裁が解除された暁に、イランの国庫に流れこむだろう1000億ドルのうち、自分の分け前がどのくらいになるかを、計算し始めていたのだ。
ナスルッラーフは長く待たなくてもよかった。合意締結から6カ月後、数百億ドルと推定されるイラン政府資産の凍結が解除され、銀行は国際決済制度に再接続されたのだ。
イランの収入のおよそ80%を占める原油の輸出は急速に増え、何十隻もの原油タンカーがホルムズ海峡に戻ってきた。1年も経たないうちに、まるで、経済制裁などなかったかのように、輸出量はかつての規模にまで回復する。
「歴史的合意」で一番得をしたのはテロ組織だった
イラン政府とイラン国民以外に、この核合意で一番得をしたのが誰かは疑いの余地がない。それから数年のうちに、テヘランからの政府支出に合わせて、ヒズボラの予算は大幅に増加したからだ。
過去もイランから年間2億ドルほどの資金を受け取っていたヒズボラは、今では年間8億ドルを得ているだろうと、安全保障組織は推定する。