「しない後悔」より「した後悔」
「人生100年時代」を幸せに生きるためのキーワードのひとつは、「後悔」ではないかと思う。「後悔」という言葉を国語辞典で調べると、「あとになって、自分のやった事を振り返り、どうしてあんなばかな事をしたのかと、自分の思慮の足りなさをくやしく思うこと」(三省堂・新明解国語辞典第7版)とある。
エッセイストの酒井順子さんは、「何かをしてしまったことによる後悔は、もしかすると若い時代のものかもしれません。『した』ことによる後悔の味があまりに苦すぎて、人は次第に何もしなくなる。結果、『しない』ことによる後悔ばかりが、募ることになる。(中略)ばかな事をするのもばかだが、なにもしないのもまたばかなのだよ」と言う。
「喜び」は「悲しみ」ほどは持続せず、多くの場合、人は利益を得るよりも損失を避けることを選ぶ。特に中高年になると、新たにチャレンジして失敗したときの損失を恐れて、どうしてもリスク回避のために何もしなくなるのだ。
私は意思決定をするとき、ひとつの行動原則を持っている。それは「熟慮した結果、それでも迷った場合は必ずやってみる」ということだ。実際には実行して失敗し後悔することもあるが、「あのとき、やっておけばよかった」と後悔するよりは納得できるからだ。
105歳で亡くなった元聖路加国際病院理事長の日野原重明さんは、「何か新たなことを始めるのに、年を取り過ぎていることはない」と常々言われていた。新たな学びとチャレンジは人生をわくわくさせる。幸せな最期を迎えるためには、「しない後悔」より「した後悔」を選びたい。
ふたつの「しゅう活」
最近は人生の最期を幸せに迎えるための活動「終活」がブームになっている。大型書店に行くとエンディング(終活)ノートのコーナーがあり、たくさんの関係図書が並んでいる。そこには葬式、墓、遺産相続や生命保険など死後に後始末が必要な項目を整理したり、生前の遺影撮影、認知症や介護への対応、延命治療の要否など、さまざまな終活内容を記入できるようになっている。
「終活」ブームの背景には、ひとり暮らしが増え、死後に周囲の人に迷惑をかけたくないという「おひとりさま」社会のニーズがある。特に、都市部には一人暮らしの高齢者が多く、承継者を必要としない「樹林墓地」などの合葬式墓地を希望する人も増えている。
従来の墓は、先祖から子孫への承継を前提としているが、都市化が進んで居住地と墓が遠く離れたり、少子化により世話をする子どもがいなくなったりするなど、墓の維持管理が難しい。多くの高齢者は、死後に墓の面倒をみることで、子どもたちに迷惑を掛けたくないのだと言う。