経済・社会

2019.11.09 18:00

米仏大統領夫人を描いたフェミニスト劇の問題点


脚本はよく書かれていて演技も素晴らしいが、この劇には根本的な欠陥がある。この劇はフェミニストの立場から、力を持たない女性と男性の暴力や野望を声高に非難しているが、実際には奇妙な形で女性をおとしめている。作者のナンシー・ハリスには、ギリシャ神話と、その中に散りばめられた犠牲者としての女性たちを喚起する意図があった。

しかし、2人の非常に異なる女性に共通点を見出し、歴史を書き換えることで、「犠牲者としての女性」という伝統的なナラティブをさらに繰り返してしまっている。現実世界のブリジット・マクロン仏大統領夫人とメラニア・トランプ米大統領夫人について、一方の結婚がより対等なもので、一方の女性が夫の真のパートナーであることを否定し、米仏両政府が2夫人に代表される女性一般に対して全く異なるアプローチを取っていることを否定することで、ハリスは女性の行為主体性と進歩を遠ざける奇妙な自傷行為に及んでいるように思える。

私はこの劇を観て、組織での男女平等を目指す自分の仕事について考えさせられた。女性の中には、その場にいるフェミニストは女性だけだと思い込む人が多いが、私がこれまで支援してきた組織の多くでは、最も影響力のあるフェミニストは男性リーダーだった。そして、そうしたリーダーの姿勢には、妻が大きな役割を果たしていた。

男性は女性と同様、パートナーに大きな影響を受ける。配偶者の存在は大きいのだ。思慮深い男性リーダーは、強くて影響力のある同等な妻を持つことが多い。政権内の男女平等に取り組むカナダのジャスティン・トルドー首相やエマニュエル・マクロン仏大統領といった首脳の妻らは、自身が首脳として選ばれたアンゲラ・メルケル独首相やニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相といった女性ほど影響力が強くはないかもしれない。だが、私は一人のフェミニストとして、こうした女性の存在を軽視し、虐げられた妻と虐げる夫というレッテルを貼ってひとくくりにすることは正しいことではないと思う。

現実はより複雑で、より興味深い。この劇では、男性と女性のどちらかにつくことが促されているが、今の時代の境界線は男女の間に引かれているのではない。本当の分断は、先進的な人々と、それ以外の人々との間にある。そして、「トゥー・レディーズ」に登場する2人の夫は、同じ側に立ってはいない。この2人を同じ側にまとめたことは、この劇の決定的な弱点となっている。

編集=遠藤宗生

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